キリシタン大名、小西行長が築城した
宇土城うとじょう
場所 熊本県宇土市古城町144付近
旧国郡名 肥後国 宇土郡
別名 近世宇土城、鶴の城
種別 平山城
築城時期 1589年(天正17年)
築城背景 肥後国南部24万石の領主となった小西行長が、宇土古城に替わる居城とすべく築城
名城 私の500名城
主な城主 小西行長、小西隼人(城代)、加藤清正
天守 3重天守(非現存)
主な遺構 石垣、空堀、土塁
主な再建物  
交通 九州新幹線 宇土駅 徒歩約30分
駐車場 二の丸の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

打ち込みハギの石垣

打ち込みハギの石垣

堀と石垣

本丸に建つ小西行長像
構成 肥後国西部、宇土古城の東にある標高16mの小丘(城山)を利用して築かれた近世平山城。

本丸を内堀が囲み、西に二の丸を、南から東に三の丸を配し、幅30〜40mの外堀を巡らせた城域は、南北500m、東西550mと広大。

本丸には3重の天守があげられていたという。

これら主郭の北側には家臣の屋敷群が広がり、また緑川河口部へ通じる運河も造られ、惣構えとして機能するとともに、船による往来が可能であった。
縄張図
または
現地
案内図

(想像図)
現状 本丸は宇土城山公園となっており、小西行長の像や、行長が朝鮮出兵の際保護し、のちに行長の妻に仕えてキリシタンとなった孤児、ジュリアおたあの碑などが建てられている。

遺構としては、加藤家時代の打ち込みハギの石垣や内堀跡などが残る。

二の丸は墓地に、三の丸は高校や住宅地となっている。

宇土城の西、約500mには、宇土家や名和家が代々居城としていた宇土古城がある。
略歴
1589年 小西行長が築城
1598年 豊臣秀吉が死没
1600年 関ヶ原の戦小西行長は、石田三成に呼応し西軍につくが、敗戦
  東軍についた加藤清正に攻められ、小西行長の処刑が知らされると開城、城代の小西隼人は自害
戦後、熊本城加藤清正の支配下に
その後、加藤清正の隠居城として改修
1611年 加藤清正が死没
1612年 廃城となり破却される