丹生島に築かれた宗麟の新城
臼杵城うすきじょう
場所 大分県臼杵市臼杵90-2付近(登城口)
旧国郡名 豊後国 海部郡
別名 丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城
種別 平山城
築城時期 1562年(永禄5年)
築城背景 大友宗麟が府内の大友館に替わる居城とすべく築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 大友宗麟、福原直高、太田一吉、稲葉貞通、稲葉典通
天守 3重天守(非現存)
主な遺構 畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀
主な再建物 二の丸大門櫓
交通 JR日豊本線 臼杵駅 徒歩約10分
駐車場 城内の無料駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

三の丸跡から望む大門櫓と畳櫓(右)

畳櫓(現存)

二の丸大門櫓(再建)

二の丸と本丸の間の空堀

本丸の天守台

卯寅口門脇櫓(現存)
構成 豊後国南部、豊後水道の臼杵湾に浮かぶ丹生島(にゅうじま)を利用して築かれた平城。

丹生島は、北、東、南が海、西は干潟という地形で、その干潟も満潮時には海底となる天然の要害であった。

本丸は東端に置かれ、3重の天守があげられた。
本丸の西、空堀を隔てて広大な二の丸が広がり、城内には天守以外にも、31基の箱櫓(総二階建て)が建てられていた。

これら主郭と、西に広がる三の丸は、2つの橋(今橋と古橋)でのみ結ばれていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は臼杵公園となっており、石垣や堀、大手の畳櫓と、搦め手の卯寅口門脇櫓が現存しているほか、二の丸大門櫓が再建されている。

古橋から見上げる、城壁につながる大門櫓や畳櫓、石垣などを取り込んだアングルは抜群。

周囲の海は埋め立てられ、西側の三の丸同様市街化されている。
略歴
1562年 大友宗麟が築城し、府内の大友館に替わる居城に
1569年 筑前国立花城をめぐり、大友家は毛利家と対立。(立花城の戦
1570年 毛利家が九州から撤退したことから、大友家は豊後国豊前国筑後国筑前国肥後国肥前国日向国伊予国半国を支配下に
1576年 大友宗麟が隠居し、子の大友義統に家督を譲る
1578年 大友宗麟日向国耳川の戦島津義久に大敗
1586年 島津家の豊後国への侵攻が始まり、臼杵城を囲まれるが輸入していた大砲「国崩し」で辛うじて勝利
  戸次川の戦で豊臣勢が敗北、大友家は滅亡の危機に
1587年 豊臣秀吉九州攻めを行い、島津家を服従させたことから危機を脱出
  城主、大友宗麟が死没
1593年 大友家が改易に
1594年 石田三成の妹婿、福原直高が城主に(3万石)
1597年 福原直高が転封となり府内城主に(12万石)
  太田一吉が城主に(6万5千石)
1599年 太田一吉、朝鮮出兵の際の私曲の咎蟄居処分に
1600年 関ヶ原の戦の際、太田一吉は病と称し臼杵城に籠城するが、はこれが西軍に味方したと判断され、東軍についた黒田官兵衛や中川秀成に攻められ戦うが敗北、開城
  稲葉貞通が城主に(5万石)
1603年 稲葉貞通が死没。子の稲葉典通が城主に
  (後略)