印旛沼を見下ろす下総の城
臼井城うすいじょう
場所 千葉県佐倉市臼井田869付近
旧国郡名 下総国 印旛郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1350年頃(正平5年/観応元年)
築城背景 坂東平氏で初代千葉家当主、千葉常兼の弟、千葉常康が当地に居館を構え臼井氏を名乗ったのが始まり。
臼井城の築城時期は14世紀中頃と伝えられる。
名城 私の500名城
主な城主 臼井(千葉)家、原胤貞、酒井家次
天守 なし
主な遺構 土橋、空堀、土塁
主な再建物  
交通 京成本線 京成臼井駅 徒歩約15分
駐車場 城址公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

丘の上の臼井城本丸

本丸虎口と土塁

主郭から望む印旛沼

二の丸北側の空堀
構成 下総国のほぼ中央、印旛沼の南に位置する小さな丘を利用して築かれた平山城。

主郭は東の本丸、西の二の丸からなり、それを土橋でつなぎ周囲に空堀を穿ち、主郭の西に三の丸を配した、連郭式の縄張り。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城址公園となっており、本丸すぐ下に小さな駐車場もある。
曲輪、土橋、空堀、土塁などが残されており、散歩感覚で廻ることができる。
略歴
1350年頃 当地領主で、千葉家の一族、臼井家により築城される
(中略)
1478年 長尾景春の乱の末の境根原の戦で太田道灌に敗北し追討を受けた千葉孝胤が、一族の臼井持胤、臼井俊胤が守る臼井城に逃げ込み籠城するが、翌年落城
1479年 太田道灌に呼応していた千葉自胤の支配下に入り、城代が置かれる
再び千葉孝胤が奪還
(中略)
1514年 城主、臼井俊胤の隠居により家督を相続した臼井景胤が城主に
1518年 古河公方の弟、足利義明が小弓公方を名乗り、古河公方と対立すると、城主、臼井景胤は足利義明に味方。
これにより、主家の千葉家とも敵対関係に
1538年 国府台合戦(第一次)で、小弓公方、足利義明が戦死。
これを受け、城主、臼井景胤は千葉家に帰参
1557年 城主、臼井景胤が死没
子の臼井久胤が城主となるが、主家、千葉家家老の原胤清の子、原胤貞が入城し、臼井久胤を後見
1561年 小田原城攻め(上杉謙信)に呼応した、里見家家臣で大多喜城主の正木大膳に攻められ落城
1564年 原胤貞が奪還に成功
1566年 越山してきた上杉謙信(長尾景虎)に攻められ落城寸前のところ、北条家、千葉胤富の援軍を受け守りきる
1570年 成実城が里見家により攻略されたため、臼井城が原家の本城に
1590年 小田原城攻め(豊臣秀吉)では、浅野長政、内藤家長らに攻められ落城
戦後、関東に転封となった徳川家康の家臣、酒井家次が城主に。(3万石)
1593年 火災により灰燼に
1604年 酒井家次が高崎へ転封となり、そのまま廃城