信長に滅ぼされた後藤家の城
采女城うねめじょう
場所 三重県四日市市釆女町581付近(登城口)
旧国郡名 伊勢国 三重郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1185年頃(文治元年頃)
築城背景 采女郷の地頭となった、後藤伊勢守基秀が居城とすべく築城
名城 私の500名城
主な城主 後藤基秀、後藤藤勝
天守  
主な遺構 土塁、堀切、空堀
主な再建物  
交通 四日市あすなろう鉄道内部線 内部駅 徒歩約20分
駐車場 なし
徒歩・登山 登城口〜登5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

采女城

本丸

落城時、城主夫人や千奈美姫が
身を投げた深井戸

空堀越しに見た二の丸

空堀
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構成 伊勢国北部、鈴鹿川の支流、内部川沿いにある比高40mほどの丘陵に築かれた平山城。

高所にある本丸を中心に、北に二の丸、三の丸を、南に八の郭を置き、それら主郭から西へ下る尾根に四の郭や九の郭を、南西へ下る尾根に五の郭、六の郭、七の郭を階段状に配した。

郭の周囲には土塁や空堀を巡らせ防御し、本丸の中央には長い籠城にも耐えられるよう深井戸が掘られていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡となっており、南側の登城口から5分ほど登ると主郭に着く。

整備状態は良好とは言えないまでも、説明板が立てられわかりやすい。

遺構として、広い空堀や土塁、本丸の井戸(竹で蓋されている)などが残されている。
略歴
1185年頃 後藤基秀が築城
(中略)
1567年 織田信長の北伊勢侵略が始まる
1568年 4万の軍勢で侵攻してきた織田信長に攻められ落城、城主後藤藤勝は討ち死にし、夫人や娘の千奈美姫は深井戸に身を投げ、後藤家は滅亡