諏訪大社の大祝、諏訪家の居城
上原城うえはらじょう
場所 長野県茅野市ちの上原
旧国郡名 信濃国 諏訪郡
別名  
種別 山城
築城時期 1466年頃(文政元年頃)
築城背景 諏訪大社上社の惣領、諏訪信満が居城とすべく築城。
名城 私の500名城
主な城主 諏訪信満、諏訪政満、諏訪頼満、諏訪頼隆、諏訪頼重、板垣信方(城代)、諸角豊後守(城代)
天守 なし
主な遺構 堀切、土塁
主な再建物  
交通 JR中央本線 茅野駅 徒歩約45分
駐車場 主郭そばの駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

主郭下の堀切

三の郭跡に建つ金毘羅神社

三の郭から望む諏訪市街
 

本郭(左上)と
二の郭の物見岩(右)

金毘羅山中腹の諏訪氏館跡
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構成 諏訪の町を西に見下ろす、標高978mの金毘羅山に築かれた山城。

山頂の本郭から南へ向かって二の郭、三の郭を階段状に配した主郭部と、中腹の館跡(板垣平)から構成された梯郭式の縄張り。
縄張図
または
現地
案内図
現状 堀切や竪堀に守られた主郭のそばまで、車で登っていける。
二の丸には大きな物見岩が、眺望の開けた三の丸には金毘羅社がある。

中腹の板垣平(板垣信方にちなんだ地名)の館跡は、畑地となっている。
略歴
1466年頃 諏訪大社上社の惣領、諏訪信満が築城
1483年 城主、諏訪政満、大祝(おおほふり)家の諏訪継満に謀殺されるが、この事件が反感を呼び、大祝家の諏訪継満は高遠へ追放され、政満の二男、諏訪頼満が、惣領家と大祝家を相続
1518年 城主、諏訪頼満、諏訪下社の大祝、金刺昌春を甲斐国へ追う
1528年 甲斐国武田信虎、金刺昌春を擁して諏訪へ侵攻するが、境川の戦で諏訪頼満が勝利
1532年 諏訪頼満、甲斐国へ侵攻するが武田家に敗北、これにより武田信虎甲斐国を平定
1535年 諏訪頼満、甲斐国武田信虎と和睦
1539年 諏訪頼満、死没
孫、諏訪頼重が家督を相続
諏訪頼重武田信虎の娘、禰々と結婚
1541年 諏訪頼重武田信虎に呼応し、佐久、小県方面へ出陣
武田信虎、嫡男の武田(晴信)信玄により追放される
1542年 武田(晴信)信玄高遠城主、高遠頼継らの侵攻を受け、諏訪頼重は居城の上原城を捨て桑原城へ入るが、武田(晴信)信玄からの和睦要請を受け、後に甲斐国東光寺に幽閉される
諏訪頼重、東光寺にて自害
武田(晴信)信玄の重臣、板垣信方が諏訪郡代となり、上原城代に
1547年 小田井原の戦
1548年 上田原の戦で、城代、板垣信方が戦死
諸角豊後守が城代に
蜂起した諏訪西方衆に呼応した小笠原長時に攻められるが、武田勢は塩尻峠でこれを撃退。(塩尻峠の戦
1573年 武田信玄、病没
1582年 天目山の戦武田勝頼が自害
武田家の滅亡により、廃城