真田父子が徳川秀忠を釘付けにした
上田城うえだじょう
場所 長野県上田市二の丸
旧国郡名 信濃国 小縣郡
別名  
種別 平城
築城時期 1583年(天正11年)
築城背景 武田家滅亡(天目山の戦)と本能寺の変を経て、徳川家康を頼っていた真田昌幸が、対北条家のために築城し居城に。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 真田昌幸真田信之、仙石忠政
天守 不明
主な遺構 櫓(移築)、石垣、堀、井戸
主な再建物 復元櫓門、復元塀
交通 JR長野新幹線 上田駅 徒歩約15分
駐車場 市民会館そばの有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

本丸への大手門である東虎口櫓門と
北櫓(移築・現存)

本丸南櫓

城内にある真田神社

本丸跡から見下ろす内堀
構成 中山道の通る上田盆地に築かれた平城。
中山道に沿って千曲川が流れているが、その支流であった尼が淵を天然の堀として、尼が淵が形成した断崖上を城地とした。

本丸、その西、北、東を囲む二の丸、さらにその東側に三の丸が配された。
三の丸の東部に大手があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 上田城址公園として整備されており、本丸を囲む内堀は残されているが、南の尼が淵は埋め立てられている。

本丸の西櫓、南櫓、北櫓、櫓門などが復元されている。城内には、真田神社も残されている。また、抜け穴の入り口と言われる真田井戸も残っている。

主郭の東にあった藩主の屋敷は、上田高校となっている。
略歴
1583年 真田昌幸が築城し居城に
1585年 天正壬午の乱後に起こった領土問題から、徳川家康の家臣鳥居元忠ら7千に攻められるが防戦。(第一次上田城の戦)
1600年 関ヶ原の戦の直前、西軍についた真田昌幸真田幸村父子は、中山道を進んできた徳川秀忠軍を巧みにおびき寄せ釘付けに。(第二次上田城の戦)
戦後、東軍についた真田信之(信幸)に与えられる
真田昌幸真田幸村父子は紀伊国の九度山へ流罪
1622年 真田家転封により、仙石忠政の居城に
(後略)