広大な惣構えを持つ筒井家の平城
筒井城つついじょう
場所 奈良県大和郡山市筒井町1476付近
旧国郡名 大和国 添下郡
別名 筒井館
種別 平城
築城時期 1429年以前(永享元年以前)
築城背景 大和国筒井の土豪、筒井順覚が居城とすべく築城(推定)
名城  
主な城主 筒井順覚、筒井順弘、筒井順永、筒井順尊、筒井順賢、筒井順興、筒井順昭、筒井順慶
天守  
主な遺構 堀跡、土塁
主な再建物  
交通 近鉄橿原線 筒井駅 徒歩約8分
駐車場 なし
徒歩・登山 筒井駅〜8分歩く〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩8分

主郭跡

主郭西の堀跡
構成 奈良盆地のほぼ中央、添下郡筒井の平地に築かれた平城。

築城当時は筒井館と呼ばれていたことから居館程度だったものが、時とともに巨大化したと考えられている。

南北に走る吉野街道を惣構えの中に取り込み、東西500m、南北400mと広大な城域を持っていた。外堀の南には、奈良街道が東西に走っていた。

本丸はほぼ中央部にあって多くの折れを伴う内堀で囲み防御した。

また、城内には市場があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 ほとんど市街化されており、遺構はほとんど残されていない。

主郭部分に案内板が建てられている。
主郭の堀は蓮根畑などとなっている。
菅田比売神社の境内に土塁(推定)が残る。
略歴
1429年以前 筒井順覚が築城
1434年 大和永享の乱で、筒井順覚が越智維通に討たれる
  子の筒井順弘が城主に
1441年 筒井順弘が、弟の筒井光宣と筒井順永との抗争に敗北、これにより筒井順永が城主に
1443年 筒井順弘が城を奪回
  筒井順弘、家臣に殺害される。これにより再び筒井順永が城主に
  大乗院門跡、経覚により攻められるが守りきる
1454年 筒井家と経覚が和睦
1455年 河内守護家のお家騒動に介入したことから畠山義就に攻められ、領地を失う
1459年 管領、細川勝元から許され、筒井順永が筒井城に復帰 
1467年 応仁の乱が起こると、筒井順永は畠山政長派として、義就方の越智家栄や古市胤栄と大和で抗争
1476年 筒井順永、死没
  子の筒井順尊が城主に
1477年 畠山義就から畠山政長派の制圧を受け、筒井順尊は追放される
  (中略)
1507年  筒井順賢が畠山勢を大和から追い出し、筒井城主に
1521年頃 筒井順賢から、弟の筒井順興に家督が移る
1532年 大和で一揆が起こると、筒井順興らはこれを制圧(天文の錯乱)
  (中略)
1550年 筒井順昭が病没。2歳の子、筒井順慶が城主に
1560年 松永久秀に攻められ、筒井順慶は堺へ逃れる
1566年 筒井順慶、三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)と結び、松永久秀と対立、筒井城を奪回
1568年 織田信長が上洛してくると、信長に臣従した松永久秀から再び攻められる
1571年 筒井順慶松永久秀に攻められ辰市城へ逃れる
  筒井順慶、 辰市の戦で松永久秀に勝利し、明智光秀の仲介を受けて織田信長に臣従
1577年 筒井順慶、長に反抗した松永久秀の篭る信貴山城を、先鋒として攻め自害させる。(信貴山城の戦
1578年 筒井順慶織田信長から大和国守護に任じられる
1580年 織田信長の命により城を破却、大和郡山城に移る