庄内藩主となった酒井家の主城
鶴ヶ岡城つるがおかじょう
場所 山形県鶴岡市馬場町4-1
旧国郡名 出羽国羽前 田川郡
別名 大宝寺城、大梵寺城
種別 平城
築城時期 鎌倉時代
築城背景 大泉荘の地頭、大泉家(武藤家)が居城として築城(大宝寺城)
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 大泉家(武藤家)、上杉家、最上家、酒井家
天守 天守に替わる2重櫓(非現存)
主な遺構 移転藩校、堀
主な再建物 石垣
交通 羽越本線 鶴岡駅 徒歩約26分
駐車場 鶴岡公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

堀 


石垣(復元)

藩校、到道館(移築)
構成 出羽国羽前北西端、最上川の下流に広がる庄内平野に築かれた平城。

方形の本丸を内堀で囲み、周囲に二の丸を巡らせた輪郭式の縄張り。
二の丸の周囲にも外堀を巡らせ、南側は特に百闕鰍ニ名付けられた幅の広い堀であった。
大手は東側に開かれた。

本丸の北西隅には本丸御殿や天守替わりの2重櫓、多聞櫓などが建てられた。

これらの主郭を広大な三の丸が取り囲み、西の青竜寺川、東の内川、さらには主郭北西の代官町口の溜池などが天然の外濠として機能していた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸、二の丸は鶴岡公園となっており、水堀などが残っている。

本丸には藩祖の酒井忠勝を祀る荘内神社や、時代小説の大家、藤沢周平記念館、資料館の大宝館などが建てられている。

二の丸、南東には、庄内藩の藩校であった致道館の表御門、聖廟、講堂、御入間などが、また三の丸には酒井家御用屋敷跡庭園が残されている。
略歴
1200年頃 大泉荘の地頭、大泉家(武藤家・大宝寺家)が築城し、大宝寺城と名付ける
(中略)
1532年 砂越氏維に攻められ城が消失、大宝寺晴時は西の尾浦城へ居城を移し、大宝寺城は支城に
1569年 大宝寺義氏、越後国長尾景虎(上杉謙信)に従う
1571年 大宝寺義氏、田川郡、櫛引郡、遊佐郡の3郡を支配下に
1574年 天正最上の乱 
1578年 上杉謙信病没。相続争い(御館の乱)が起こると大宝寺義氏は上杉景虎を支持するが、上杉景虎長尾顕景(上杉景勝)に敗北、これにより上杉家と敵対
1583年 最上家、安東家などを敵に回し、窮地に立った大宝寺義氏が自害
1588年 庄内地方を平定した上杉景勝の支配下となり、
1590年 検地を行ったことから一揆が起こり落城するが、直江兼続が一揆を平定 
1600年 関ヶ原の戦後、最上義光の支配下に
1603年 鶴ヶ岡城と改名
1622年 お家騒動により最上家が改易に
  酒井忠勝が庄内藩主となり(13万8千石)、鶴ヶ岡城を居城とし、近世城郭とすべく大改修を開始
(後略)