江戸湾を扼する里見家の水軍基地
造海城つくろうみじょう
場所 千葉県富津市竹岡4487付近(登城口)
旧国郡名 上総国 天羽郡
別名 百首城(ももくびじょう)
種別 山城(海城)
築城時期 1461年(寛正2年)
築城背景 里見家の支配下に入った真里谷信興が、相模国の北条家に備えるために築城
名城 私の500名城
主な城主 真里谷家、正木家(城代)
天守  
主な遺構 切通、堀
主な再建物  
交通 JR内房線 竹岡駅 徒歩約25分
駐車場 灯篭坂大師そばの駐車スペース
徒歩・登山 車スペース〜登10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登10分

造海城

大手口の切通し

井戸(手前)と岩盤水堀(舟入?)

白虎川河口と東京湾
構成 上総国南西端、東京湾を見下ろす標高100mの城山に築かれた山城(海城)。

対岸約2里(8km)には相模国浦賀があり、当城は最大の敵である北条家への備えとして作られた軍事基地である。

城域の北には白虎川が流れ、城内には岩盤を掘削した水堀があり、舟入(港)として機能していたと思われる。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 主郭へは、大手側の灯篭坂大師そばの切通しから登って行く。

説明版などもなく、整備はほとんどされていないが、土塁や空堀、井戸などの遺構のほか、岩盤を掘削した水堀が残されている。

石垣もあるが、中世の遺構ではない可能性が高い。
略歴
1461年頃 里見家の支配下に入った真里谷信興が築城
  (中略)
1537年 真里谷信保の死後の家督争いが起こり、小弓公方を頼る嫡男の真里谷信応に対し、庶子の真里谷信隆は北条家を頼って造海城に立て籠るが開城
第一次国府台合戦で、小弓公方、足利義明に味方した真里谷家が北条家に敗北したことから、一時北条家が支配
1567年 三船山の戦に勝利した里見家が、北条家を房総から追う
里見家の家臣、正木時盛が城代に
1578年 里見義弘が病没
北条家の介入により、里見家の家督は義弘の庶兄(異説あり)、里見義頼が相続。これにより里見家の本国は安房国
1580年 里見家の相続争い(天正の内乱)で、正木時盛は梅王丸に味方するが、里見義頼に攻められ降伏、開城
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後、里見家は安房国9万石に減封とったことから廃城