亀山城とも呼ばれた奥三河の山城
作手城つくでじょう
場所 愛知県新城市作手清岳シロヤシキ10付近
旧国郡名 三河国 設楽郡
別名 亀山城
種別 山城
築城時期 1424年(応永32年)
築城背景 奥三河の川尻城に土着した豪族、奥平家が築城し本拠とした。
名城  
主な城主 奥平貞俊、奥平貞能、奥平信昌(貞昌)、松平忠明
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁、土橋
主な再建物  
交通 JR飯田線 新城駅からバスなど利用
駐車場 道の駅「つくで手作り村」の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

二の丸から本丸への虎口

本丸と土塁(右側)

土橋跡

城址から望む風景
構成 奥三河の山あいの村、作手の小高い山を利用した山城。

山塊の頂上部に土塁で囲った本丸、その南側には空堀を穿ち、本丸の東に二の丸、その南側に東曲輪、本丸の西に西曲輪、本丸の南に南曲輪などを配した梯郭式の縄張り。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡は整備されており、そばにある道の駅「つくで手作り村」の駐車場から5分ほど登っていくと本丸に着く。
空堀、土塁、土橋などの遺構が残されている。
略歴
1424年 川尻城主の奥平貞俊が居城とすべく築城
(中略)
奥平家、三河国の松平家に従属
1530年 森山崩れにより松平清康が死没
これを受けて、城主、奥平貞勝は駿河国の今川家に従属
1542年 城主、奥平貞勝、小豆坂の戦(第一次)に参陣
1556年 城主、奥平貞勝、今川家から離反し尾張国織田信長に従属するが、今川勢に攻められ降伏し再び今川家に従属
1560年 城主、奥平貞勝、今川義元の上洛戦では松平元康(徳川家康)の与力を務める
桶狭間の戦今川義元が討ち死に
これを受けて奥平貞勝は作手城に戻る
その後、松平元康(徳川家康)に従属
1570年 奥平貞能が姉川の戦に従軍
1571年 武田信玄の三河侵攻を受けて、奥平貞勝、奥平貞能は武田家に寝返る
1573年 奥平貞能が家臣の多くを連れて作手城から出奔し、徳川方に寝返る
隠居していた父、奥平貞勝は、そのまま武田家に留まる
武田信玄が死没
奥平貞能が隠居し、子の奥平貞昌(信昌)長篠城主となり、作手城は長篠城の支城となり、再び徳川方に
1575年 奥平貞能、長篠の戦に参陣し鳶巣山砦の攻略戦などで貢献
(中略)
1602年 松平忠明(奥平信昌)の四男)が城主に。(初代作手藩主)
1610年 城主、松平忠明が伊勢国亀山(5万石)へ加増の上転封となったため、廃城