三角州にある藤堂家の居城
津城つじょう
場所 三重県津市丸之内27
旧国郡名 伊勢国 安濃郡
別名 安濃津城
種別 平城
築城時期 1558年(永禄元年)
築城背景 伊勢国の豪族、細野藤敦が安濃津城として築城。
その後城主となった織田信包の改修や藤堂高虎の大改修を経て近代的な大城郭に。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 細野藤敦、織田信包富田一白藤堂高虎
天守 3重天守(非現存)、2重小天守(非現存)
主な遺構 石垣、堀
主な再建物 丑寅櫓
交通 近鉄名古屋線 新津駅 徒歩約10分
駐車場 市営のお城東駐車場(有料)
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

再建丑寅櫓

二の丸の堀

藤堂高虎の像

構成 伊勢国中央の安濃津の町、伊勢湾に注ぐ安濃川と岩田川が作る三角州に築かれた平城。

本丸を中心とした輪郭式の縄張りで、小さめの本丸には総多聞櫓を廻らせ、5重天守と小天守があったが関ヶ原の戦の際消失、その後3重天守と2重小天守が建てられた。

本丸には馬出ほどの2つ小さな曲輪が付けられ、本丸とは土橋で繋がり、東之丸と西之丸と呼ばれた。

それらを内堀で囲み、その外側に二の丸を廻らせた。

二の丸の外側も外堀で囲み、その周囲には城下町が広がり、城下の発展のために伊勢街道を引き入れた。

さらに城域の北を流れる安濃川と、南を流れる岩田川も天然の堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 お城公園となっており、本丸は石垣で囲まれた公園となっており、丑寅櫓続多聞櫓跡のあった部分に3重の丑寅櫓が再建されている。

内堀は埋め立てや幅縮小が進んでいるが、本丸と西の丸周辺は当時のまま現存している。

東之丸は商工会議所など、西之丸は公園内の日本庭園となっている。
略歴
1558年 伊勢国の豪族、細野藤敦が安濃津城として築城
1568年 織田信長伊勢国侵攻に伴い降伏開城
織田家の部将、津田一安が城主に
1570年 津田一安に替わって、伊勢上野城主の織田信包の持ち城に
1580年 織田信包が居城とする
その後改修し、5重の天守などを建設
1594年 織田信包丹波国へ転封となり、替わって富田一白が城主に。(子の信高と合わせて5万石)
1599年 富田一白が病死。子の富田信高が城主に
1600年 関ヶ原の戦の前、富田信高は東軍に付いたため、毛利秀元長宗我部盛親の3万の軍勢に攻められ1300の寡兵で抵抗する天守などが消失。8月24日に開城
1608年 富田信高が伊予国宇和島へ転封となり、替わって藤堂高虎伊賀国一国と伊勢国8郡、合計23万石を拝領し、居城に
(後略)