太鼓櫓門が残る霞ヶ浦先端の平城
土浦城つちうらじょう
場所 茨城県土浦市中央1
旧国郡名 常陸国 信太郡
別名 亀城
種別 平城
築城時期 1430年頃(永享2年頃)
築城背景 常陸国筑波郡の小田家の家臣、今泉三郎が築城し、本拠としたのが始まり。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 今泉家、菅谷家、結城家、松平家、朽木家、土屋家
天守 なし
主な遺構 城門、堀、土塁
主な再建物 西櫓、東櫓
交通 JR常磐線 土浦駅 徒歩約10分
駐車場 市立博物館の駐車場(開館時、受付に届ければ無料)
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

本丸の表門である、太鼓櫓門(現存)

本丸土塁上の西櫓
(解体されたものを後に再建)

二の丸と外丸を結んだ前川口門
(高麗門・移築)

内堀
構成 常陸国南部、霞ヶ浦に注ぎ込む桜川のそばの平地に築かれた平城。

本丸を中心に、多くの曲輪を堀(4〜5重)で区切り配した輪郭式の縄張り。

本丸の土塁上には、西隅に西櫓、東隅に東櫓(どちらも2階建て)を置いた。
内堀の外には、西から南に二の丸、北に亀井郭、東に御用米蔵を置いた郭を廻らせ、それら主郭の周囲に外堀を廻らせ、その外には三の丸、外丸、たつみ郭などを配した。

さらに武家屋敷や町屋を沼や堀で取り囲んだ総構えとし、馬出しを備えた北門、西門、南門を配し、水戸街道を城内に取り込んだ。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸と二の丸が亀城公園となっており、内堀の多くと外堀の一部が残っている。
本丸の表門、太鼓櫓門が現存しており、西櫓と東櫓も再建されている。
そのほかは市街化されている。

城内には江戸時代に土浦藩主となった土屋家を祀る土屋神社や、聖徳太子を祀った聖徳太子堂などがある。
略歴
1430年頃 今泉(若泉)三郎が築城
(中略)
1516年 小田家家臣、菅谷勝貞に攻められ落城、小田家の支配下に
1556年 小田氏治が関東に進出してきた北条氏康に攻められ、居城の小田城を奪われたため土浦城に入る
1557年 小田氏治が、小田城を取り戻す
1562年 小田氏治北条氏康に降伏し、長尾景虎(上杉謙信)に背く
1564年 越山してきた上杉政虎(謙信)小田城を攻め落とされ、小田氏治は土浦城に入る
1565年 小田氏治が、小田城を取り戻す
1569年 小田氏治が、手這坂の戦で、佐竹義重を後ろ盾としていた太田資正、梶原(太田)政景父子に敗北、小田城から追われ土浦城に入る
1583年 小田氏治佐竹義重に降伏し、藤沢城に移る
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めで、城主菅谷範政が参陣しなかった罪で失脚。
結城秀康の支配下に
1601年 結城秀康越前国へ転封となり、松平信一が城主に。(3万5千石)
1604年 松平信一の養子、松平信吉が城主に。(4万石)
(後略)