神保長職が築いた越中平野の浮城
富山城とやまじょう
場所 富山県富山市本丸1
旧国郡名 越中国 新川郡
別名 安住城
種別 平城
築城時期 1543年(天文12年)
築城背景 越中国守護代神保長職が、椎名家が支配していた新川郡へ侵入して、拠点とすべく築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 神保長職、神保長住、佐々成政前田利長、前田利次
天守 5重天守(非現存)
主な遺構 堀、石垣、移築門
主な再建物 3重4階模擬天守、模擬海鼠塀
交通 R北陸本線 富山駅 徒歩約10分
駐車場 城址公園の地下有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

富山城の模擬天守と模擬海鼠塀

富山城の模擬天守(別角度から)

千歳御殿の表門だった薬医門「千歳御門」
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構成 越中平野(富山平野)のほぼ中央部、神通川沿いの平地に築かれた平城。

本丸、その西側の西の丸、本丸の南側の二の丸を主郭とし、主郭の南の堀を隔てて三の丸が広がっていた。梯郭式の縄張りである。

本丸の北は、当時西から東に流れていた神通川が天然の堀となっており、さらにその内側にも石垣による内堀を穿った二重堀の縄張りだったことから、浮城の異名がある。

本丸には5重の天守があったといわれる。

また築城当時の城域は、さらに1kmほど南だったという説もある。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は城址公園となっており、3重の模擬天守や櫓を模した郷土博物館が建てられている。
遺構としては、10代富山藩主邸「千歳御殿」の表門だった薬医門が移築されて残っている。
また、図書館や美術館も建てられており、文化スポットとなっている。

その他の曲輪跡は市街化されている。

神通川は、現在では城域の西側を南から北に流れているが、当時の神通川は現在、松川という神通川の支流として残っている。

城址公園は、平成26年度完成を目指して、現在さらに整備が続けられている。
略歴
1543年 越中国守護代、神保長職が、椎名家の支配地に築城
これがきっかけとなり、椎名長常らとの領土争い(天文の越中騒乱)が起こるが、翌年和睦
1560年 その後も領土争いは絶えず、そのもつれから上杉謙信(長尾景虎)に攻められるが一旦和睦し、神保長職は増山城に退く
1562年 再び上杉謙信(長尾景虎)に攻められ降伏し、神保長職は新川郡を失うが、能登畠山家の裁定により元からの領土、射水郡と婦負郡は安堵される
1568年 神保家で内紛が起こるが、上杉政虎(謙信)に鎮圧される
1570年 神保長職が隠居し、子の神保長城が城主に
1576年 増山城とともに上杉謙信に攻め落とされ、再び上杉家の支配下に
神保家は滅亡
1578年 上杉謙信死没
お家騒動の末、織田信長の元に出奔していた神保長住(神保長職の子)が、飛騨国経由で越中平野に侵入、上杉勢を攻め降し、富山城を取り戻し城主に
1582年 上杉勢の侵攻を受け落城
その後すぐに、織田信長の部将、佐々成政が取り戻し城主に
本能寺の変
1585年 城主佐々成政が敵対していた羽柴(豊臣)秀吉から攻められ、降伏
羽柴(豊臣)秀吉前田利長に命じて城を破却、一旦廃城に
1605年 前田利長の隠居城として修築される
1609年 大火災により、ほとんどの建物を消失したため、前田利長は砺波平野に高岡城を築城して移る
1639年 加賀藩の支藩として富山藩が分家され、その居城に
1661年 大修築が完了
(後略)