秀吉の兵糧攻めを受けた因幡の山城
鳥取城とっとりじょう
場所 鳥取県鳥取市東町
旧国郡名 因幡国 邑美郡
別名 久松城
種別 山城
築城時期 1545年(天文14年)
築城背景 山名誠通が、居城、天神山城の出城として築城(異説あり)
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 山名誠通、武田国信(城番)、武田高信、毛利豊元、山名豊国吉川経家(城番)、宮部継潤、宮部長房、池田長吉
天守 3重天守(非現存)、2重2階天守(非現存)
主な遺構 石垣、天守台、土塁、堀、井戸
主な再建物
交通 JR山陰本線 鳥取駅 徒歩約30分
駐車場 久松公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜山下ノ丸(平山城)〜登る30分〜山上ノ丸(山城)の本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分・30分

築城当時の本丸(山上ノ丸)がある
久松山

二の丸の入り口の中仕切門(再建)

二の丸から望む鳥取市街

二の丸三階櫓の石垣

山下ノ丸(平山城)の本丸、天球丸

構成 因幡国北部、千代川を西に見下ろす標高263mの久松山に築かれた山城(山上ノ丸)と、その麓に築かれた平山城(山下ノ丸)から構成される、

山城部分の山上ノ丸には3重の天守(後に2重天守に建て替えられた)があげられたほか、多聞櫓や走り櫓が建てられた。

関ヶ原の戦以降、麓に建設された山下ノ丸(平山城)は総石垣造りで、天球丸(本丸)、二の丸、三の丸などを梯状に配した梯郭式の縄張り。
天球丸には天守替わりの三階櫓があげられた。
二の丸には藩主の居館のほか、三階櫓、菱櫓、走り櫓も建てられた。
城域の西側には水堀を穿ち、防備を高めた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城址として整備されており、山下ノ丸(平山城)の各曲輪や見事な石垣、堀が遺構となっており、二の丸の入り口の中仕切門が再建されている。

麓から5〜10分ほど登れば山下ノ丸に着くが、山上ノ丸まではさらに20分登る。
略歴
1545年 因幡国守護、山名誠通が、居城である天神山城の出城として築城。(異説あり)
その後、家臣の武田国信が城番となり大改修を行うが、これが謀反の疑いを招き、山名誠通から謀殺される。跡を武田高信が継ぐ。
1548年 但馬山名家の山名祐豊に攻められ、山名誠通が討ち死に。(申の歳崩れ)
山名祐豊の弟、山名豊定が因幡国をほぼ平定。
1552年 出雲国尼子晴久因幡国守護に任じられる。
1563年 城主、山名豊成が鹿野城にて、毛利家と結んでいた武田高信から毒殺される。
その後、武田高信が城主に。
1572年 武田高信、毛利家の仇敵である尼子家の残党、山中鹿之介山名豊国から攻められ退城。
山名豊国が城主に。
毛利両川の一、吉川元春に攻められ降伏、毛利豊元が城主に。
1574年 尼子家の巻き返しにより、降伏。
1575年 毛利家の攻勢により尼子家の残党が逃亡、山名豊国が城主に。
1580年 織田信長の家臣、羽柴(豊臣)秀吉に攻められ、山名豊国が降伏。
1581年 織田家への臣従に反対する重臣、森下道誉、中村春続らが、城主、山名豊国を追放し、毛利家から石見国福光城主、吉川経家を城番に迎える。
羽柴(豊臣)秀吉の兵糧攻めにあい、降伏開城。(鳥取城兵糧攻め
1582年 秀吉の与力、宮部継潤が城代に。
1585年 宮部継潤が城主に。(5万石)
1596年 宮部継潤が隠居、子の宮部長房が城主に。
1600年 関ヶ原の戦で宮部長房は西軍につくが敗北。
戦後は池田長吉が城主に。(6万石)
その後、麓に山下ノ丸を建設。
(後略)