日向に覇をなした伊東家の本拠
都於郡城とのこおりじょう
場所 宮崎県西都市鹿野田5711-1付近(登城口)
旧国郡名 日向国 児湯郡
別名 浮船城
種別 山城
築城時期 1337年(建武4年)
築城背景 足利尊氏に味方し、都於郡を拝領した伊東祐持が築城
名城 私の500名城
主な城主 伊東祐持、伊東義祐
天守  
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 JR日豊本線 佐土原駅 約11.4km
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩7分

本丸の土塁

天正遣欧使節の一人、伊東マンショ像

本丸から空堀越しに見た二の丸

空堀

空堀
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構成 日向国中央部、都於郡にある標高100mほどの丘陵を利用して築かれた、広大な山城。

中心となる本城(内城)は、本丸、二ノ丸、三ノ丸、奥ノ城、西ノ城の5つの曲輪からなり、周囲を土塁で囲み空堀で隔てた。

内城の周囲には日隠城、東城、泉城、高城、向城、前城、中尾城の7つの出城が築かれ、西から北、東へ回り込むように流れる三財川が天然の外堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 内城は城跡として整備されており、土塁を持つ5つの曲輪や深い空堀などが遺構として残っている。

本丸には、当城で誕生し天正遣欧少年使節の主席正使となった、伊東マンショ(祐益)の銅像が建てられている。

周辺は新興住宅地として市街化が進みつつある。
略歴
1337年 伊東祐持が築城し居城に
(中略)
1536年 伊東義祐が家督を相続し城主となるが、都於郡城は火災を受け消失していたため田島城(のちの佐土原城)へ入城
1543年 伊東義祐、田島城の跡地に佐土原城を築城し、これを本城に
1569年 伊東義祐、飫肥を本拠とする豊洲島津の島津忠親と争い勝利し、日向国をほぼ制圧
1572年 伊東義祐、島津家の加久藤城を攻めるが、重臣5人を失うなどの大敗。(木崎原の戦
1578年 島津家の侵攻を受けた伊東義祐が、大友宗麟を頼って豊後国へ脱出
  都於郡城には島津義久が入城
  耳川の戦大友宗麟島津義久に大敗
1587年 戸次川の戦で豊臣勢が島津家に敗北、大友家は滅亡の危機に
豊臣秀吉九州攻めを行い、根白坂の戦で島津家を敗走させる
  廃城