秀吉の紀州攻めで落城した別所谷奥の山城
手取城てどりじょう
場所 和歌山県日高郡日高川町和佐1864(登城口)
旧国郡名 紀伊国 日高郡
別名  
種別 山城
築城時期 南北朝時代
築城背景 熊野の豪族、玉置家の一族、玉置大宣が築城
名城 私の500名城
主な城主 玉置大宣、玉置直和、玉置永直
天守 なし
主な遺構 堀切、土塁、空堀
主な再建物  
交通 JR紀勢本線 和佐駅 徒歩約45分
駐車場 東丸の無料駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜徒歩1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

東丸

二の丸

本丸

西の丸と本丸を断つ堀切

西の丸の土塁
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構成 紀伊国西部、日高川の支流、別所川が流れる別所谷を見下ろす、標高171mの城山に築かれた中世山城。

城域は東西約380m、南北約200mで、山頂部の小さな本丸と南の段下の二の丸を中心に、西側には堀切を隔てて西の丸や水の手曲輪を、東側には東の丸を配した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡公園となっており、斎場そばに入口がある林道を使って、東丸まで車で上がって行ける。

堀切や土塁などの遺構が残るが、城跡全体が雑草におおわれており、夏場の訪城よりも冬場の方が見学しやすいに違いない。
略歴
1385年前後 玉置大宣が築城
(中略)
1562年 玉置直和、守護、畠山高政に従い三好長慶と抗争
1568年 織田信長が上洛を果たすと、玉置直和はこれに従う
1585年 羽柴(豊臣)秀吉の根来・雑賀攻めに玉置直和は従おうとするが、これに反対する湯川直春から攻められ落城
  戦後、紀伊国を支配するようになった秀吉の弟、豊臣秀長に従うことになり城を取り戻す
所領を1万石から3500石に減らされたことに不満を持った玉置直和が隠居し、子の玉置永直が城主に
1600年 関ヶ原の戦の際、玉置直和は西軍につくが、戦後改易に
  これにより廃城(推定)