円形輪郭式縄張りの平城
田中城たなかじょう
場所 静岡県藤枝市田中1-7
旧国郡名 駿河国 益頭郡
別名 徳之一色城、亀甲城、亀井城
種別 平城
築城時期 1537年(天文6年)
築城背景 駿河国守護、今川家の被官、一色信茂が居城として築城し徳之一色城とした
名城 私の500名城
主な城主 由比正信、長谷川正長、馬場信春(改修)、山県昌景(城蕃)、板垣信安(城蕃)、依田信蕃、高力清長、中村家、酒井忠利
天守 天守に替わる2重2階の隅櫓
主な遺構 隅櫓(移築)、堀、土塁
主な再建物 門、橋、塀
交通 JR東海道線 西焼津駅 徒歩約20分
駐車場 下屋敷跡の無料駐車場(藤枝市田中3-14-1)
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

本丸二階櫓(移築・田中城下屋敷)

大手二の門を守る二の堀

二の丸の土塁と三の堀

二の丸の土塁と三の堀
構成 駿河国南西端、瀬戸川や葉無川の作る扇状地に築かれた平城。

大変に珍しい円形輪郭式の縄張りで、本丸を中心に同心円状に曲輪が広がっている。

構成を内側から見ていくと、中心の本丸、それを囲む一の堀、その外側をグルリと囲む帯曲輪、さらには二の堀、二の丸、三の堀、侍屋敷が立ち並ぶ三の丸、さらには四の堀と続く。

大手は北側を走る東海道に向かって開かれていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は西益津小学校となっている。
そのほかもほとんどが市街化されているが、土塁や堀の一部の遺構とを垣間見ることができる。

また、四の堀の一部にもなっていた六間川に隣接させた下屋敷跡には、一時民間に払い下げられていた江戸時代の本丸隅櫓(2重2階)が移築されている。
略歴
1537年 今川家の被官、由比正信が築城し徳之一色城とした
1560年 長谷川正長が城主に
1570年 武田信玄に攻められ開城
田中城と改称し、馬場信春が大改修
山県昌景が城番に
1572年 板垣信安が城番に
武田信玄上洛戦を開始
武田信玄三方ヶ原の戦徳川家康を破り、西へ向かう
1573年 武田信玄、病死
1574年 武田勝頼、徳川方の高天神城を攻略(高天神城の戦(第一次)
1575年 長篠の戦武田勝頼が大敗し、遠江国から撤退
二俣城主だった依田信蕃が城主に
遠江国北東部の重要拠点、諏訪原城徳川家康に攻略される
1578年 徳川家康に攻められる
徳川家康遠江国南部の海沿いに横須賀城を築城し、遠江国の武田家への圧迫を強める
1581年 徳川家康遠江国南東部の拠点高天神城を攻め落とす。(高天神城の戦(第二次))
1582年 天目山の戦の前に、武田方の重臣で駿河国江尻城代の穴山梅雪が織田、徳川に寝返ったため孤立、依田信蕃が降伏し開城
徳川家康の家臣、高力清長が城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後の徳川家康の関東移封により、駿府城主となった中村一氏の支配下に
1601年 徳川家康家臣、酒井忠利が城主に。(1万石)
田中藩の藩庁に
1616年 徳川家康茶屋四郎次郎清延から献上された鯛の天ぷらを当地で食すが、その後腹痛を患い駿府城で死没
(後略)