細川幽斉が守り抜いた丹後の海城
田辺城たなべじょう
場所 京都府宮津市南田辺15-22
旧国郡名 丹後国 加佐郡
別名 舞鶴城
種別 平城
築城時期 1579年 (天正7年)
築城背景 丹後国平定の功により、織田信長から丹後国12万石を拝領した細川藤孝が居城とすべく築城。
名城 私の500名城
主な城主 細川幽斎(藤孝)細川忠興京極高知、牧野氏
天守 なし
主な遺構 天守台、石垣、堀
主な再建物 隅櫓、櫓門
交通 JR舞鶴線 西舞鶴駅 徒歩約5分
駐車場 舞鶴公園の無料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

本丸天守台の石垣

再建された櫓門

内部が資料館の模擬隅櫓
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構成 若狭湾岸、丹後街道と綾部街道が交わる田辺の海に面した平地に築かれた平城。

城域は、若狭湾に注ぎ込む池内川(伊佐津川)と高野川の下流の平地で、現在の海岸線は埋め立てにより築城当時よりも北上(後退)している。

城の北側は当時湿地、東西は川、南は海という好立地であった。

内堀(本丸堀)に囲まれた本丸を中心に、その外側に二の丸、その外側に内堀を隔てて三の丸などを配した輪郭式の縄張り。

本丸に天守台はあったが、天守は築かれなかった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸、二の丸は舞鶴公園となっており、天守台の石垣などが現存しているほか、2重の隅櫓や本丸櫓門が場所を変えて再建されている。
略歴
1579年 織田信長から丹後国12万石を拝領した細川藤孝が築城
1582年 本能寺の変の際、城主細川藤孝明智光秀の与力であり、子の細川忠興明智光秀の娘(細川ガラシャ)婿でもあったために味方するよう口説かれるが、応じず
細川藤孝が隠居、子の細川忠興が城主に
1600年 関ヶ原の戦の直前、当主細川忠興徳川家康に同道していたことから西軍の侵攻を受けるが、宮津城にいた隠居の細川藤孝舞鶴城に入城、西軍の1万5千を相手にわずか600の兵で50日間籠城後、開城。
細川藤孝が古今伝授の歌人だったことから、開城の勅命=朝廷からの命令=を受けての開城)
戦後、細川忠興豊前国へ加増の上転封
京極高知丹後国を拝領し城主に
(後略)