信長次男、信雄が居城とすべく改修した
田丸城たまるじょう
場所 三重県度会郡玉城町田丸114付近
旧国郡名 伊勢国 度会郡
別名 玉丸城(旧名)
種別 平山城
築城時期 1336年(延元元年)
築城背景 南北朝時代に、北畠親房、北畠顕信が伊勢国における南朝方の拠点として築城し、玉丸城と名づけられた。

室町時代は、伊勢国国司、北畠家の田丸御所となった。

その後、北畠家に入った織田信長次男、織田信雄が居城とすべく改修し、田丸城と改名。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 北畠氏、織田信雄、田丸直昌、稲葉重道、稲葉通重、藤堂家、久野宗成
天守 3重天守(非現存)
主な遺構 石垣、天守台、空堀、堀、移築門、移築御殿
主な再建物  
交通 JR参宮線 田丸駅 徒歩約12分
駐車場 城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

田丸城の遠景

本丸の虎口

天守台の石垣

本丸からの風景
構成 伊勢国南部の田丸の町にある小山に築かれた平山城。
田丸は参宮街道と熊野街道の分岐点であり、さらに伊勢神宮にも近い要衝。

縄張りは、南から二の丸、本丸、北の丸を並べた連郭式で、本丸の北側には石垣の天守台があり、3重の天守を建てた。
これらの主郭の東の低くなった場所には三の丸が広がっていた。

また、城域の南を西から東へ流れる外城田川の流れをほぼ円形の城域周囲に引き込んでめぐらせ、外堀とした。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は城山公園となっており、石垣積みの曲輪群や天守台がしっかりと残されている。

三の丸は玉城中学校となっている。
略歴
●玉丸城
1336年 北畠親房、北畠顕信が伊勢国における南朝方の拠点として築城
1342年 北朝方に攻められ落城
その後、伊勢国となった北畠氏の支配下に入り、一族の愛洲忠行が城主となり田丸氏を名乗り、田丸御所と呼ばれる
(中略)
1569年 織田信長、国司北畠具教大河内城を攻略し伊勢国を平定(大河内城の戦
●田丸城
1575年 織田信雄、北畠家の家督を相続し、大河内城を廃し玉丸城を田丸城と改称して居城とし、石垣積み、天守建設、外城田川の外堀化などの大改修を行う
1580年 放火による火災で全焼
再建を断念した織田信雄が、松ヶ島城に居城を移す
1582年 本能寺の変
1584年 松ヶ島城主となった蒲生氏郷(12万石)の支配下に入り、臣下となった田丸直昌が再び田丸城主に
1590年 蒲生氏郷の会津へ転封に伴い、田丸直昌も三春へ転封
1600年 関ヶ原の戦で東軍に味方した稲葉道通の居城に。(4万6千石)
1607年 稲葉道通が死没。子の稲葉紀通が城主に
1616年 稲葉紀通が、摂津国中島へ転封し、津城主、藤堂高虎の支配下に
(後略)