武田・徳川の遠江争奪戦の舞台
高天神城たかてんじんじょう
場所 静岡県掛川市上土方嶺向2650
旧国郡名 遠江国 城飼郡
別名 鶴舞城
種別 山城
築城時期 1490年頃(延徳2年頃)
築城背景 駿河国の今川家が、遠江国経営のための要衝として築いたと推定
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 福島助春(城代)、小笠原信興(長忠)、岡部元信(城代)
天守 なし
主な遺構 堀切、土塁
主な再建物  
交通 JR東海道線 菊川駅 約15km
駐車場 大手口または搦め手口の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

高天神城の遠景

東峰の本丸跡

本丸付近からの風景

井戸曲輪
構成 菊川が造った扇状地を東に見下ろす、標高131mの高天神山に築かれた山城。
掛川城の南南東約15kmの地点。

高天神山は東峰と西峰のふたつの頂上を持ち、東峰には本丸曲輪、御前曲輪、三の丸曲輪、間にある井戸曲輪を挟んだ西峰には二の丸曲輪や西の丸曲輪などが配された。

尾根筋を利用し、各曲輪を堀切で独立させた連郭式の城だった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 各曲輪跡や堀切、土塁などのほか、西の丸跡には高天神社がある。
大手口、搦め手口双方からの登城が可能で、ハイキング感覚で城址めぐりが可能。
略歴
1490年頃 駿河国の今川家が築城し、家臣の福島助春を城代に
その後、今川家家臣、小笠原家が城代に
1569年 掛川城の戦で今川家が滅亡すると、城代の小笠原信興(長忠)は徳川家康の配下に
1571年 2万5千の兵を率いた甲斐国武田信玄に攻められるが、守りきる
1574年 甲斐国を継いだ武田勝頼に攻められ、西の丸を攻略されたため小笠原信興(長忠)は降伏、武田家の配下となる。(高天神城の戦(第一次)
武田家の家臣、岡部元信が城代に
1575年 長篠の戦で武田家
1580年 三河国徳川家康が攻略を開始
1581年 武田勝頼への援軍要請も叶わなかったことから落城、岡部元信は討ち死に。(高天神城の戦(第二次))
廃城