毛利広元が、子の元就を連れて隠居した
多治比猿掛城たじひさるがけじょう
場所 広島県安芸高田市吉田町多治比1762付近(登城口)
旧国郡名 安芸国 高田郡
別名 猿掛城
種別 山城
築城時期 1492年頃(明応年間)
築城背景 安芸国吉田の領主で、吉田郡山城主の毛利広元が隠居城として築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 毛利広元、毛利元就
天守 不明
主な遺構 竪堀、堀切、土塁
主な再建物  
交通 JR芸備線 吉田口駅 約12km
駐車場 山麓の駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登る20分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登20分

多治比猿掛城(北麓から) 

本丸の土塁

本丸

城跡から吉田の町を望む
構成 安芸国東北部、毛利氏の本拠、吉田の西方約1里(4km)の猿掛にある標高376mの山一帯に築かれた山城。

土塁に囲まれた本丸、二の丸、三の丸などの主郭は山頂から北へ張り出した尾根の先端に置かれ、周囲を堀切や竪堀で防御した。

山頂には物見丸と呼ばれた曲輪が置かれた他、主郭の北の段下には寺屋敷曲輪群が配され、さらに谷を隔てて出丸も置かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡となっており、麓から約20分の登山で本丸に着く。

本丸には土塁が残り、遠くに吉田の町が望める。

北麓の悦叟院(えそういん)跡には、毛利広元夫妻の墓がある。
略歴
1492年頃 吉田郡山城主の毛利広元が築城
1500年 毛利広元が隠居、吉田郡山城を嫡子の毛利興元に譲り、二男の二男の松寿丸(毛利元就)とともに猿掛城に移る
1506年 毛利弘元が死没、松寿丸(毛利元就)が城主に
松寿丸(毛利元就)、家臣の井上元盛から所領を横領され、多治比猿掛城から追われる
1516年 吉田郡山城主、毛利興元が死没、子の幸松丸が家督を相続し吉田郡山城主に
1517年 出雲国の太守、尼子氏の後ろ盾を得た佐東銀山城主の武田元繁吉田郡山城を攻められるが、毛利元就が初陣し勝利
1523年 吉田郡山城主、幸松丸が死没、叔父である毛利元就が家督を相続し、猿掛城から吉田郡山城へ移る
(後略)