京を去ること一千五百里
多賀城たがじょう
場所 宮城県多賀城市市川大畑13付近
旧国郡名 陸奥国陸前 宮城郡
別名  
種別 平城(古代城柵)
築城時期 724年(神亀元年)
築城背景 大和朝廷の蝦夷制圧のための軍事的拠点(鎮守府)として、按察使、大野東人が築城
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主  
天守 なし
主な遺構  
主な再建物 政庁跡、土塁など
交通 JR東北本線 国府多賀城駅 徒歩約15分
駐車場 多賀城跡の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩2分〜政庁跡
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

政庁跡

南門跡

再現土塁

政庁跡の復元模型(推定)
構成 奈良時代に、鎮守府として築かれ、その後陸奥国の国府となった平城。
場所は陸奥国陸前中南部で、加瀬沼の南側の低い台地(塩釜丘陵)に築かれた。

城域は約900m四方のややいびつな形に広がり、周囲に塀を建て回し、東、南、西に門を開いた。

広大な城域のほぼ中央に、東西103m、南北116mの広さの政庁を置き、築地塀を巡らせた。政庁では政務以外にも重要な儀式などが行われた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の特別史跡となっており、これまでに発掘調査が行われ、多賀城跡として保存・管理されている。

政庁跡や土塁などが復元されている。
略歴
724年 鎮守府として築城される
その後、陸奥国府を兼ねる
780年 - 伊治呰麻呂の乱の際、焼失
802年 坂上田村麻呂の蝦夷討伐の際、鎮守府が北方の胆沢城へ移る
1333年 北畠顕家がが陸奥守鎮守大将軍に任命され、後醍醐天皇の皇子、義良親王を陸奥太守として推戴し多賀城へ入る
(後略)