ガラシャが嫁いだ細川の城
勝龍寺城しょうりゅうじじょう
場所 京都府長岡京市勝竜寺13-1
旧国郡名 山城国 乙訓郡
別名 勝竜寺城
種別 平城
築城時期 ????年 (室町時代と推定)
築城背景 南北朝時代、南朝への防御のため北朝方の細川氏が築城した、との説があるが、真偽は不明。
名城 私の500名城
主な城主 細川幽斎(藤孝)細川忠興
天守 詳細不明
主な遺構 土塁、堀、空堀
主な再建物 模擬櫓、模擬隅櫓、模擬城壁
交通 JR京都線 長岡京駅 徒歩約10分
駐車場 近くになし
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

資料館を兼ねた模擬櫓

模擬隅櫓、模擬城壁、内堀

本丸に隣接する沼田丸跡
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構成 京都の南西部の平地に築かれた平城。京都から見た場合、摂津国方面の重要な防衛拠点である。

城地は淀川の支流、小畑川とさらにその支流、犬川の合流地点であり、それらを天然の外堀とした。

内堀に囲まれた本丸を中心に、西には沼田丸が置かれ、本丸と沼田丸の間には、帯曲輪が細長く伸び、平城だけにそれぞれが堀で囲まれていた。

主郭部の北側と南側は家臣の屋敷などが建てられ、二の丸、三の丸の役目を果たしていたと思われる。
縄張図
または
現地
案内図
現状 勝竜寺城公園となっており、資料館を兼ねた模擬櫓、模擬隅櫓、模擬城壁などが建設されている。
略歴 ????年
築城年は不詳。

????年
三好三人衆のひとり、岩成友通が入城。

1568年
上洛に成功した織田信長が派遣した、柴田勝家蜂屋頼隆森可成、坂井政尚(右近)らが攻め落とし、三好勢を追い出す。(信長の上洛戦

1571年
織田信長の命により、細川藤孝(幽斎)が城主に。

1578年
城内で、細川藤孝(幽斎)の嫡子、細川忠興明智玉(細川ガラシャ)が結婚。

1581年
細川家が丹後国に転封。

その後、村井貞勝の家臣、矢部善七郎らが城主に。

1582年
山崎の戦で敗れた明智光秀が、一時逃げ込む。

1589年
淀城の改築に資材が使用されることになり、廃城。

(中略)

1633年
永井氏が城主となり、小規模に改修。

(後略)