関東平野西部の山内上杉家の拠点
菅谷城すがやじょう
場所 埼玉県比企郡嵐山町菅谷757付近
旧国郡名 武蔵国 男衾郡
別名 菅谷館
種別 平城
築城時期 ????年(????年)(平安時代後期と推定)
築城背景 平安時代末期の武士で、秩父一族、畠山重忠が築城したと推定される
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 畠山家
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、蔀土塁(しとみどるい)
主な再建物 復元橋
交通 東武東上線 武蔵嵐山駅 徒歩約17分
駐車場 史跡博物館の駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

本丸の虎口と土塁、土橋、堀

本丸の堀

三の郭と西の郭の間の木橋(再現)

畠山重忠像
構成 武蔵国北部、関東平野の西端を流れる都幾川の北に築かれた平城。

都幾川近くに本郭を置き、その西側に二の郭を、その北側に三の郭を配した。
さらに本郭の南側に南郭を、三の郭の西側に西郭を置き防備を固めた。

三の郭には蔀土塁(しとみどるい)が盛られ、西側の西郭から直接三の郭を覗き込めないように工夫された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡として整備されており、中世城館跡ではあるが遺構の保存状態がよい。

各曲輪の土塁や空堀が良好に残されているほか、発掘調査に基づき木橋を再現するなどの工夫もされている。
略歴
1180年頃 畠山重忠が築城(推定)
(中略)
その後、一旦廃城
1488年 須賀谷原の戦
この頃、扇ガ谷上杉家の河越城への押さえとして、山内上杉家家臣の太田資康(太田道灌の子)が再建。
その後、廃城