伊達家重臣、白石家や片倉家の居城
白石城しろいしじょう
場所 宮城県白石市益岡町
旧国郡名 陸奥国磐城 刈田郡
別名 益岡城、枡岡城
種別 平山城
築城時期 平安時代〜鎌倉時代
築城背景 源義家の家臣で、刈田郡、伊具郡の領主、刈田家(白石家)の築城と推定
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 刈田家(白石家)、白石宗実、蒲生家、片倉小十郎
天守 天守代わりの3重3階櫓
主な遺構 移築門、移築蔵
主な再建物 再建3重3階櫓、再建大手門、復元石垣
交通 JR東北本線 白石駅 徒歩約15分
駐車場 城下広場駐車場、益岡公園駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜三階櫓
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

再建三階櫓

再建大手門

三階櫓からの眺望
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構成 磐城国北端、白石を流れる白石川の南側にある、標高76mの小丘に築かれた平山城。

丘は南北に長く、その北端に本丸が置かれた。本丸は高さ約9mの石垣上にあって土塁で囲んだ。本丸には天守代わりの三階櫓、巽櫓、坤櫓などを置いた。

その南側には中之丸や南之丸などの曲輪や的場、馬出をを配した。
その南側も丘陵が続いていたので、空堀を掘って防御した。

二の丸は本丸の西側に置かれた。
二の丸の西側には、西曲輪や沼の丸が配され、沼の丸の西側には沼があった。

これら主郭の北から東の低地に三の丸が広がり、さらにその東側には外曲輪があって、東端が大手口であった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 明治7年に建物のほか石垣や土塁までもが破却されたが、益岡公園となり、本丸跡には三階櫓(天守に代わる)や大手門、石垣などが再建されている。
略歴
平安〜鎌倉時代 刈田家(白石家)が築城。
1584年 白石宗実伊達政宗に従い相馬家を攻める。
伊達政宗が家督を相続。
1585年 粟之巣の変により、伊達輝宗が死没。
1586年 白石宗実、二本松城主、畠山国王丸(義綱)と伊達家との和睦をまとめる。
白石宗実大内定綱の旧領である陸奥国岩代塩松を拝領し、宮森城を居城に。
1591年 会津など91万石を拝領した蒲生氏郷の支配下となり、家臣の蒲生郷成、蒲生郷舎が城代に。
その後、大改修。
1598年 会津へ転封されてきた上杉景勝の家臣、甘糟景継が城主に。(2万石)
1600年 関ヶ原の戦の直前、徳川家康に呼応した伊達政宗に攻め取られる。
伊達政宗の叔父、石川昭光が城代に。
1602年 伊達政宗の家臣、片倉小十郎が城主に。(1万3千石)
1615年 片倉小十郎が死没、子の片倉重長が城主に。
幕府から一国一城令が出されるが、白石城は例外として仙台城の支城として残された。
(後略)