上杉、北条が奪い合った国境の城
関宿城せきやどじょう
場所 千葉県野田市関宿246付近
旧国郡名 下総国 葛飾郡
別名  
種別 平城
築城時期 1457年(長禄元年)
築城背景 古河公方足利成氏の重臣、簗田成助が築いた。(異説あり)
名城  
主な城主 簗田家、北条家、松平康元、小笠原家、牧野家、板倉家
天守 御三階櫓
主な遺構 土塁、移築門(逆井城にあり)
主な再建物 模擬櫓
交通 東武伊勢崎線 幸手駅 徒歩約110分
駐車場 すぐそばに駐車スペースあり
徒歩・登山 駐車スペース〜徒歩すぐ〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

本丸跡

本丸跡の北東500mにある関宿城博物館

模擬御三階櫓(関宿城博物館)

逆井城に移築されている
関宿城の薬医門
構成 下総国の北東部、利根川とその支流の逆川の合流地点の平地に築かれた平城。

川沿いのやや高い場所に本丸を置き、北西隅に御三階櫓が上げられた。

本丸の北に二の丸、その東に22間幅(40m)の堀を隔てて三の丸、さらに発端曲輪が置かれ、本丸の南には天神曲輪が配された連郭式の縄張り。

各曲輪は利根川から引き込んだ堀で隔てた。

国境にあるという意味でも、大河のそばにあるという意味でも、水運の要衝である。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸跡は城跡となっているが、土塁がわずかに見られる程度。

本丸跡の北東500mほどの場所に、江戸城の富士見櫓を模したという模擬櫓が建てられているが、県立の関宿城博物館である。

城域の西を流れていた利根川の流れが変わったため、今は江戸川となっている。
略歴
1457年 簗田成助が築城
1506年 古河公方足利政氏と子の足利高基が対立すると、当主の簗田政助も子の梁田高助が対立
1510年 足利高基が関宿城に入城
1512年 足利高基が古河公方
相模国の北条家が関東に進出
1535年 古河公方足利高基が死没、子の足利晴氏が公方に
1538年 第一次国府台合戦で、里見義堯、里見義堯父子と小弓公方、足利義明らに勝利した北条氏綱下総国を支配下に
1546年 河越夜戦では、古河公方足利晴氏に従い反北条方につくが敗北
戦後、北条氏康の圧力を受け、古河公方足利晴氏は、簗田高助の娘との間の子、足利藤氏を廃嫡し、北条氏綱の娘との間に生まれた足利義氏に家督を相続
1554年 廃嫡された足利藤氏が古河で挙兵するが、北条家に平定される
1558年 北条家に不満を持ち続ける簗田家の勢力を削ぐため、簗田晴助は関宿城から古河城に移され、関宿城には足利義氏が入城
1560年 長尾景虎(上杉謙信)が関東へ出兵(越山)
1561年 長尾景虎(上杉謙信)北条氏康に追われた関東管領上杉憲政の要請を受け、10万の大軍で小田原城の北条攻めを行う。(小田原城攻め(上杉謙信)
長尾景虎(上杉謙信)、関東管領に
上杉政虎(謙信)、関白近衛前久、簗田晴助を味方につけ、関宿城の足利義氏を追い、足利藤氏を古河公方につかせる
1562年 北条家が古河城を攻め、再びその支配下に
1563年 上杉政虎(謙信)が後略し、簗田晴助を再び関宿城主につける
1564年 国府台合戦(第二次)で里見家に勝利した北条氏康上総国を平定
1565年 北条氏康に攻められるが、守りきる。(関宿合戦(第一次))
1566年 古河公方足利藤氏が死没したため、北条家と一旦和睦
1568年 北条氏照に攻められる。(関宿合戦(第二次))
1569年 簗田晴助、孫で足利藤氏の弟、足利藤政を古河公方に擁立
簗田晴助、甲斐国武田信玄と結ぶ
1573年 再び北条氏照に攻められるが守りきる
1574年 北条氏政北条氏照に攻められ開城。城主、簗田晴助は水海城に移る。(関宿合戦(第三次))
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後は、徳川家康の弟、松平康元が城主に。(2万石)
1603年 松平康元が死没、子の松平忠良が城主に
(後略)