石田三成が家康打倒を決意した名城
佐和山城さわやまじょう
場所 滋賀県彦根市古沢町1104付近
旧国郡名 近江国 犬上郡
別名  
種別 山城
築城時期 12??年(鎌倉時代)
築城背景 鎌倉時代、当地の豪族、佐保氏が居城とすべく築城したと推定。
名城 私の500名城
主な城主 佐保家、小川家、磯野員吉、磯野員昌丹羽長秀堀秀政堀尾吉晴石田三成井伊直政
天守 5重天守(3重とも)(非現存)
主な遺構 土塁、空堀、堀切、石垣、井戸、移築門(龍澤寺)
主な再建物  
交通 JR琵琶湖線 彦根駅 徒歩約10分
駐車場 龍潭寺そばの専用無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る20分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登20分

佐和山城

本丸

本丸から望む彦根城

取り残された(?)天守台の石垣

千貫井戸

西の丸の堀切
構成 中山道と北陸道が交わる交通の要地である佐和山の、今は干拓されてしまった松原内湖(琵琶湖の内海)を見下ろす佐和山の山頂を中心に、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、太鼓丸などを配置した壮大な山城。

本丸には8メートルの石垣上に築かれた、5重(3重とも)の天守があったという。

また、松原内湖の3つの島の間や、城と麓の石田三成の屋敷(今の清涼寺のあたり)の間を、百間橋と呼ばれる長大な木の橋で結んでいたいう。

石成に過ぎたるもののふたつあり、島の左近と佐和山の城、と詠われたように、20万石弱の大名の居城にしては大規模かつ壮麗だったようで、秀吉がいかにこの地の重要性と三成の才能を認めていたかが窺える。
縄張図
または
現地
案内図
現状 北麓の龍潭寺そばに観光案内所があり、専用無料駐車場も完備されている。

龍潭寺から登って、西の丸〜本丸へ向かうコースがお奨めで、堀切、土塁、井戸などの遺構を見て回ることができる。

山道は整備状態が良くないので、トレッキングシューズでの登山をお奨めする。

石垣はほとんどが彦根城築城の際持ち運ばれたと言われるが、天守台隅に使用されたと推定されるものが2個、本丸の斜面に残されている。

龍澤寺に、城門が移築され残っている。
略歴
12??年 佐保氏が築城
(中略)
1530〜1540年頃 城主の磯野員吉が、北近江に台頭してきた浅井亮政に降り、佐和山城は浅井家の属城に
1570年 浅井家の家臣、磯野員昌姉川の戦に参陣。活躍するも敗戦
1571年 磯野員昌、佐和山城を包囲され、浅井氏の本城小谷城との連絡を絶たれたことから、織田信長に降る
その後、磯野員昌が高島郡に転封となり、丹羽長秀が城主に
1582年 本能寺の変のあとの清洲会議により、堀秀政が城主に
1585年 堀秀政が、越前国北ノ庄へ転封となり、堀尾吉晴が城主に
1590年 堀尾吉晴が、遠江国浜松へ転封となり、石田三成が城主に
「三成に過ぎたるもののふたつあり 島の左近(家老)と佐和山の城」、とうたわれたほどの名城に大改修
1600年 関ヶ原の戦の直前、石田三成が佐和山城に蟄居
本戦後、小早川秀秋を先鋒とした徳川家康率いる東軍に攻められ落城
戦後は、家康の家臣、井伊直政が城主に
井伊直政が、新城の築城を決意
1602年 井伊直政、死没
1606年 井伊直継が、彦根城に移ったことから廃城に