大崎葛西一揆の際木村父子が籠った
佐沼城さぬまじょう
場所 宮城県登米市迫町佐沼内町30付近
旧国郡名 陸奥国陸前 登米郡
別名 鹿ヶ城、佐沼要害
種別 平山城
築城時期 1185年頃(文治年間)
築城背景 藤原秀衡の家臣、照井高直が築城し館を建てた
名城 私の500名城
主な城主 照井家、葛西家、佐沼家、石川直村、石川義誠、石川義広、石川彦九郎、木村家、湯目景康(津田景康)、津田家、亘理家
天守 なし
主な遺構 堀、土塁
主な再建物 模擬橋
交通 JR東北本線 新田駅 約8.3km
駐車場 歴史博物館の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

堀跡

大手門へ向かう模擬橋

本丸の土塁

本丸
構成 陸奥国陸前北部、登米郡佐沼の比高3mほどの丘陵に築かれた平山城だが、天然の沼や川、湿地に囲まれた水城であった。

周囲に土塁を掻き上げた本丸は、内堀(御堀)と鯛沼による二重堀に守られ、西側の虎口に大手門が建てられていた。

本丸の南側には、中門を伴う貝吹場と呼ばれる曲輪が置かれ、さらにその南には大門を伴う大きな曲輪が置かれた。

本丸の北から鯛沼の西にかけても大きな曲輪となっており、その西には堂沼が広がる輪郭式の縄張りとなっていた。

城地の東には佐沼川(迫川)が流れ、天然の外堀として機能した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は鹿ヶ城公園となっており、土塁が残るほか、出雲神社の照日権現が祀られている。

内堀が残るが、コンクリートにより補強されている。

鯛沼や堂沼は干拓により市街化されている。

すぐそばに登米市歴史博物館があり、旧亘理邸や江戸時代の民具などを展示している。
略歴
1185年頃 照井高直が築城
その後、葛西家の支配下に
(中略)
1338年頃 葛西家の支配下に
(中略)
その後、大崎家の支配下となり石川家が城主に
(中略)
1560年頃 再び葛西家の支配下に
1590年 奥州仕置により、葛西家が滅亡。豊臣秀吉の家臣で岩出山城主となった木村吉清父子の支配下に
葛西・大崎一揆が起こると、木村吉清父子は佐沼城に籠城
  伊達政宗に救出される
1591年 葛西・大崎一揆の主犯と疑われた伊達政宗が召還されると、一揆勢の支配下に
  伊達政宗が城を奪還
  伊達家の支配下となり、湯目景康(津田景康)が城主に(1500石)
(中略)
1757年 亘理倫篤(佐沼亘理家)が城主に
(中略)
1615年 一国一城令が出されると、佐沼要害と呼ばれるように
1871年 廃藩置県により廃城