上総の南西、北条家と里見家の争奪舞台
佐貫城さぬきじょう
場所 千葉県富津市佐貫824(付近)
旧国郡名 上総国 天羽郡
別名 亀城
種別 平山城
築城時期 1467年頃(応仁元年頃)(異説あり)
築城背景 真里谷家が築城(異説あり)
名城 私の500名城
主な城主 真里谷家、里見家、北条家、足利義氏、内藤家長、松平家、柳沢家、阿部家
天守  
主な遺構 石垣、空堀、土塁、土橋
主な再建物  
交通 JR内房線 佐貫町駅 徒歩約25分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

石垣(大手櫓門跡)

堀切道

空堀(本丸の南側)

城跡から東京湾方面を望む
構成 上総国南西の要衝、佐貫の地。
東京湾から1里足らずの丘陵地帯に築かれた平山城。

丘陵の北側に本丸を置き、深い空堀を隔てて二の丸を広げ、その西から南に三の丸を配した。

本丸の西(海岸方面)と南の壇上には物見台を置いた。

三の丸の南の大手門櫓は石垣の上にあげられたのだが、千葉県では唯一の石垣虎口とのこと。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡となっている。

大手櫓の横に駐車場があり、そこから本丸までは3分ほどの軽い登りとなる。

訪問した際は石垣も含め至るところ夏草に蔽われてしまっており、整備状態は芳しくなかった。

二の丸と本丸の間の空堀は深く大きい。
略歴
1467年頃 上総武田家(真理谷家)が築城(異説有り)
1538年 第一次国府台合戦で、小弓公方、足利義明に味方した真里谷信応が北条家に敗北
これにより空白地帯となった上総国里見義堯が進出、久留里城を攻略し、里見義堯の本拠に
1545年 北条氏康に攻略される
その後、里見義堯が奪還
1554年 第一次久留里城の戦で、里見義堯里見義弘父子が北条勢を退ける
1555年 北条氏康に攻略される
その後、里見義堯里見義弘父子が奪還
1556年 里見義弘が佐貫城主に
里見義弘、北条家攻略のために鎌倉へ出陣
1559年 北条氏康に攻略され、北条家家臣、布施弾正が城代に
1560年 第二次久留里城の戦で、里見義堯里見義弘父子が長尾景虎(上杉謙信)に出陣を要請し、北条氏康を退ける
1562年 長尾景虎(上杉謙信)に古河御所を追われた足利義氏が、北条氏康の保護のもと、佐貫城に入場し仮御所とする
1563年 里見義弘が奪還
1564年 第二次国府台合戦里見義弘が北条家に大敗、北条家が久留里城を攻略
1567年 北条家に攻められるが撃退。(三船山の戦)
1578年 城主、里見義弘が病没
北条家の介入により、里見家の家督は義弘の庶兄(異説あり)、里見義頼が相続。これにより里見家の本国は安房国
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後、里見家は安房国9万石に減封
徳川家康が関東に移封となり、家臣の内藤家長が城主に。(2万石)
(後略)