二戸・盛岡へ移る前の南部家の居城
三戸城さんのへじょう
場所 青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下5-5付近
旧国郡名 陸奥国陸奥 三戸郡
別名 留ヶ崎城、三戸高城
種別 平山城
築城時期 1558年〜1570年頃(永禄年間)
築城背景 家臣に焼かれた聖寿寺館に代わる居城として、南部晴政が築城
名城  
主な城主 南部晴政、南部晴継南部信直
天守 天守に相当する三重三階櫓(非現存)
主な遺構 土塁、石積
主な再建物 模擬天守(歴史資料館)
交通 青い森鉄道 三戸駅 徒歩約45分
駐車場 城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

本丸跡

大御門跡

亀池
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構成 陸奥国陸奥東南部の三戸盆地にある東西約1km、南北約0.3kmの小丘に築かれた平山城。

周囲には馬淵川と熊原川が流れ天然の外堀となっていた。

城域北東部には、本丸に相当する御三階櫓をあげた本丸や谷丸、淡路丸などの主郭が広がり、南東部には二の丸に相当する、南部利康の館を置いた曲輪をはじめ、家臣の館を建てた曲輪群で構成された。

大手は西側に開かれ高石垣で囲まれていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園となっており、土塁や石垣の一部がある程度で遺構は少ない。

南部利康の館には、温故館と名づけられた歴史資料館が建てられており、これが模擬天守である。
略歴
1558年
〜70年頃
南部晴政が築城
1582年 城主、南部晴政が死没
子の南部晴継が13歳ながら城主に
南部晴継が急死。(暗殺説あり)
晴政の養子だった南部信直が家督を相続し城主に
1590年 南部信直豊臣秀吉の命を受け小田原城攻めに参陣
奥州仕置で、本領(陸奥国陸奥南部、陸奥国陸中北部)を安堵される
1591年 一族の九戸政実が反乱を起こすと豊臣秀吉に報告、乱は豊臣秀次の討伐軍に鎮圧される(九戸政実の乱)
蒲生氏郷らの修築を受け、三階櫓や石垣を持つ近世城郭に
1598年 南部信直、二戸にある九戸城を改築し居城とし福岡城と改名
これにより三戸城には城代が置かれる
(後略)