佐土原島津家3万石の居城
佐土原城さどわらじょう
場所 宮崎県宮崎市佐土原町上田島1336付近(登城口)
旧国郡名 日向国 那珂郡
別名 田島城、田島之城 、鶴松城
種別 山城
築城時期 1334年頃(建武元年頃)
築城背景 伊東一族の田島休助(休祐)が居城とすべく築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 田島休助、伊東祐賀、伊東祐国、島津家久島津豊久、島津以久、島津忠興
天守 三重天守?
主な遺構 空堀、土塁、天守台
主な再建物 復元御殿、模擬塀、模擬門
交通 JR日豊本線 佐土原駅 約6.8km
駐車場 歴史資料館鶴松館の専用駐車場
徒歩・登山 駐車場〜歩1分〜二の丸〜登10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登10分

二の丸

二の丸の復元御殿

庭園

本丸(山城)
構成 日向国南東部、砂土原にある標高69mの小山一帯を利用して築かれた山城。

伊東家の支配下にあるころは、伊東四十八城の中でも特に重要拠点として機能した。

山頂部に二段の本丸を置いて、北側の段上に天守台があって3重櫓が建てられていた。(詳細は不明)

本丸の東南の段下には南ノ城が、さらにその南の尾根の先には松尾丸が置かれた。南ノ城の東麓には城城である今坂池があった。

南ノ城から東へ下る尾根の先の平地には二の丸が置かれ、江戸時代には藩主の御殿が建てられていた。また、二の丸の東には三の丸とを隔てる水堀があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 二の丸には寛永年間の御殿を復元した鶴松館が建てられており、模擬門や模擬塀を伴った佐土原歴史資料館となっている。

山城部では、本丸の天守台が発掘により見つかっており、古図に描かれている3重櫓はここに存在したと推測されている。
略歴
  ●田島城
1334年頃 田島休助(休祐)が築城し居城となり、田島城と呼ばれるように
(中略)
  ●佐土原城
1427年頃 伊東家の侵攻を受けて田島家は退城、伊東祐賀の居城に
  伊東祐賀、佐土原氏を名乗る。これにより城も佐土原城と呼ばれるように
  (中略)
1480年 伊東本家の伊東祐堯の子、伊東祐国が佐土原家の養子となったことから、伊東四十八城のひとつに
1485年 伊東本家の伊東祐堯が死没、伊東祐国が本家を相続
  (中略)
1536年 消失 
1542年頃 再建
1569年 伊東義祐、飫肥を本拠とする豊洲島津の島津忠親と争い勝利し、日向国をほぼ制圧
1572年 伊東義祐、島津家の加久藤城を攻めるが、重臣5人を失うなどの大敗。(木崎原の戦
1578年 島津家の侵攻を受けた伊東義祐が、大友宗麟を頼って豊後国へ脱出
  佐土原城には島津家久が入城
  耳川の戦大友宗麟島津義久に大敗
1587年 戸次川の戦で豊臣勢が島津家に敗北、大友家は滅亡の危機に
豊臣秀吉九州攻めを行い、根白坂の戦で島津家を敗走させる
  城主、島津義久が急死
  子の島津豊久が城主に
1590年 島津豊久豊臣秀吉小田原城攻めに従軍
1600年 関ヶ原の戦島津豊久が討ち死に
1603年 島津以久が城主に(3万石・初代佐土原藩主)
  (後略)