小弓公方勢を追った原家の新城
生実城おゆみじょう
場所 千葉県千葉市中央区生実町
旧国郡名 下総国 千葉郡
別名 北生実城
種別 平山城
築城時期 1538年(天文7年)
築城背景 小弓公方勢を追って領地を取り戻した原胤清が、旧城に替わって築城。
名城  
主な城主 原胤清、里見家、原胤貞、原胤栄、西郷家員、森川家
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 京成千葉線 学園前駅 徒歩約20分
駐車場 近くになし
徒歩・登山 学園前駅〜徒歩20分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩20分

弁天池越しに望む生実城

弁天池

生実神社
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構成 下総国の最南端、上総国との国境にある台地に築かれた連郭式縄張りの平山城。

西側の弁天池を天然の堀とし、その東に本城が置かれた。
その東から南にかけて、空堀を挟んで二の丸が、その東側の平地は江戸時代に陣屋となり空堀が廻らされた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸跡は住宅地となっており、小さな公園に「本城跡」の看板がある。

陣屋跡も住宅地となっており、空堀などの遺構がわずかだが残っている。
略歴
1538年 小弓御所(小弓城)を本拠としていた、小弓公方足利義明第一次国府台合戦で討ち死にし、小弓公方に味方していた武田家、里見家が上総国方面に後退
これを受けて、元領主で、北条方の原胤清が旧領を取り戻し、旧城の小弓城(小弓御所)に替わる新城として生実城を築城
1539年 原胤清が隠居し、子の原胤貞が城主に
1556年 原胤清が死没
1557年 原胤貞、臼井景胤(娘婿)が死没しことから臼井城に入り、孫の久胤を傀儡として事実上の臼井家を支配
1561年 小田原城攻め(上杉謙信)に呼応した、里見家家臣で大多喜城主の正木時茂に攻められ、臼井城とともに落城
1564年 第二次国府台合戦で敗北した里見家を追い出し、臼井城とともに奪還
1566年 越山してきた上杉謙信(長尾景虎)に攻められるが、北条家、千葉家の援軍を受け守りきる
1569年頃 原胤貞が隠居し、子の原胤栄が城主に
1574年 原胤栄、居城を臼井城へ移す
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、酒井家次に攻められ原胤栄が戦死
戦後、徳川家康家臣、西郷家員が城主に。(5千石)
1597年 城主、西郷家員が死没
(中略)
1623年 森川重俊により小弓藩が成立し、その藩庁に
(後略)