藤原秀郷の後裔小山家の居城
小山城おやまじょう
場所 栃木県小山市本郷町1-1-35付近
旧国郡名 下野国 芳賀郡
別名 祗園城、祇園城
種別 平山城
築城時期 1148年頃(久安4年頃)
築城背景 太田政光(小山政光)が、移住先の小山の地に居城とすべく築城。
名城 私の500名城
主な城主 小山政光、小山持政、結城泰朝、本多正純
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 JR宇都宮線など 小山駅 徒歩約15分
駐車場 城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩15

事実上の本丸、富士見櫓(再建)

祇園橋の下の堀

小山城から見る思川と観晃橋
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構成 下野国南端を流れる思川の東の台地上に築かれた平山城で、南北に連なる、本郭、二郭、三郭、天翁院曲輪などからなる連郭式の縄張り。

これらの曲輪は、それぞれが10mほどの堀によって区切られていた。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 城山公園となっており、曲輪や堀のほとんどは整備されている。
略歴
1148年頃 藤原秀郷の後裔、太田(小山)政光が築城
(中略)
1382年 小山義政の乱の結果、結城家から結城泰朝が入り小山家を相続
(中略)
1560年 小山秀綱が、関東に進出してきた上杉謙信(長尾景虎)に攻められ降伏
長尾家の属城に
1564年 北条家に攻められ降伏し城を退去、北条氏照の属城に
その後、下妻城主の多賀谷政経らが北条家に勝利したことから、小山秀綱が再入城
1574年 再び北条勢に攻められ落城。再び北条氏照の属城に
その後、小山秀綱は佐竹家、宇都宮家など、北条家に敵対する勢力とともに抗戦するが、小山城を奪回するまでは至らず
1582年 織田信長が武田家を滅亡させ、関東に入った滝川一益により、小山城は小山秀綱に返還される
本能寺の変後、滝川一益が関東から去ると、北条家の配下に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、結城晴朝に攻められて落城。小山家は滅亡
1600年 関ヶ原の戦の直前、会津の上杉景勝討伐に向かっていた徳川家康が、城外の陣所で三成攻めを決意(小山会議=小山評定)
1608年 本多正純が城主に(3万3千石)
1619年 本多正純が宇都宮へ転封となったことから、廃城