淡河家の居した三木別所家の重要な支城
淡河城おうごじょう
場所 兵庫県神戸市北区淡河町淡河740付近
旧国郡名 播磨国 三木郡
別名 上山城
種別 平山城
築城時期 1222年(承久4年)
築城背景 鎌倉幕府の執権、北条時房の孫、淡河時治が居城とすべく築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 淡河家、有馬則頼
天守 不明
主な遺構 天守台、土塁、空堀、切岸
主な再建物 模擬櫓、模擬城壁
交通 神戸電鉄有馬線 箕谷駅 約12km
駐車場 なし(道の駅淡河の駐車場を利用)
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

崖の上の淡河城

天守台の模擬櫓

本丸と土塁

二の丸の模擬城壁
構成 播磨国東端、淡河川とその支流、丹生川(裏川)に挟まれた比高20mほどの断崖上に築かれた平山城。

北の崖上に本丸とその南側に天守台を置き、3重の天守が建てられていたようである。

土塁を隔てて南側に二の丸を、さらにその南に南の丸を配し、それら主郭の西側には広い西の丸を置いた。

城域の北と東は断崖だが、南と西は平坦な台地であり、空堀を穿って防備を固めた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 小さな公園となっており、模擬の黒い2重櫓は麓の道の駅「淡河」からも望める。
この道の駅付近が大手であった。

その道の駅から丹生川(裏川)を渡った登城口までは2分程度、そこから少し登れば模擬櫓のある天守台に着く。

天守台の段下が土塁に囲まれた本丸で、周囲に空堀が残るが藪化が進んでいる。

また、二の丸の竹慶寺跡には模擬城壁が建てられているが、この中に淡河一族の墓所がある。
略歴
1222年 淡河時治が築城
(中略)
1486年頃 城主の淡河家、東播磨8郡の守護代となった別所則治に臣従
  (中略)
1569年 城主の淡河定範、別所安治とともに織田信長に従う
1578年 城主の淡河定範、別所長治とともに織田家に反旗を翻し毛利家につく
1579年 羽柴(豊臣)秀吉による三木城兵糧攻めが始まる
  秀吉の弟、羽柴(豊臣)秀長に城を攻められるが撃退
  羽柴勢の攻勢が強まり、城主の淡河定範は城を棄てて三木城へ入城
1580年 三木城が開城。城主別所長治は自害
  有馬則頼が城主に(3200石)
1600年 関ヶ原の戦で、城主、有馬則頼は東軍につく
1601年 有馬則頼が摂津国三田藩主(2万石)に転封となったことから廃城