三成の水攻めにも落ちなかった浮城
忍城おしじょう
場所 埼玉県行田市本丸17-23
旧国郡名 武蔵国 埼玉郡
別名 鴛城(おしどりじょう)、亀城、浮城
種別 平城
築城時期 1470年頃(文明2年)
築城背景 当地の豪族、忍家(扇谷上杉家の家臣)を攻めて追った、山内上杉家の家臣、成田家が、当地支配の拠点とすべく築城。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 成田長泰、成田氏長、成田長親(城代)、松平忠吉、阿部家、松平家
天守 御三階櫓(非現存)
主な遺構 土塁、堀
主な再建物 御三階櫓
交通 秩父鉄道 行田駅 徒歩約13分
駐車場 忍中学校前の公園無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

忍城 復元三階櫓

本丸の土塁

水城公園
noimege
構成 中山道からやや東にそれた、沼や小さな河川が入り乱れる湿地に築かれた、典型的な水城。
水に仕切られた30ほどの島々を曲輪とし、橋でつないで作られた梯郭式の縄張りであった。
本丸には御三階櫓があげられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸跡には行田市の郷土博物館があり、その一部として三階櫓が復元されている。

遺構としては、本丸の土塁や堀がわずかに残る程度。

1kmほど離れた場所にある水城公園の大きな池がかつての外堀であり、水城の雰囲気がつかめる。
略歴
1470年頃 山内上杉家の家臣、成田家が築城し居城に
1545年 城主、成田長泰は北条家の臣下に
1546年 河越夜戦
1559年 長尾景虎(上杉謙信)が関東に進出してくると、城主、成田長泰がこれに臣従
1561年 成田長泰長尾景虎(上杉謙信)小田原城攻め(上杉謙信)に参陣するが、鶴岡八幡宮において無礼者扱いされ景虎に扇子で顔を討ち据えられるという事件が起こり、それが元で長尾家から離反、北条氏康につく
1563年 上杉輝虎(謙信)から攻められ降伏
1569年 北条家と上杉家が同盟。これにより成田家は北条の臣下に
1571年 北条氏康死没
1572年 北条家と上杉家の同盟が破棄される
1574年 上杉謙信から攻められるが勝利
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、成田長泰は小田原城に入城、従弟の成田長親が城代を務めるが、石田三成を総大将に、長束正家佐竹義宣真田昌幸宇都宮国綱結城晴朝ら2万3千に攻められる
その際三成は、城の南側に総長28qの堤防を築き(石田堤)、利根川の水を引き込み一帯を湖水とする水攻めを敢行するが、成田勢に堤を切られ味方が溺死するなど、作戦は失敗となった。
その難攻さから、忍の浮城と称され、小田原城が開城するまで、忍城は落ちなかった。(忍城水攻め)
徳川家康の関東転封にともない、家康の四男松平忠吉が城主に。(10万石)
1600年 松平忠吉の尾張国転封により、天領に
(後略)