要衝に築かれた伊予の平山城
大洲城おおずじょう
場所 愛媛県大洲市大洲903
旧国郡名 伊予国、喜多郡
別名 大津城、比志城、地蔵ヶ嶽城
種別 平山城
築城時期 1331年(元徳3年)
築城背景 鎌倉時代に伊予国守護となった宇都宮豊房が居城とすべく築城
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 宇都宮氏、大野直昌、宇都宮豊綱、大野直之、毛利秀包(小早川元総)、戸田勝隆、藤堂高虎脇坂安治加藤貞泰
天守 複合連結式層塔型4重4階天守
天守、高欄櫓、台所櫓を多聞櫓で連結。(非現存)
主な遺構 高欄櫓、台所櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓、石垣、堀、井戸
主な再建物 天守
交通 JR予讃線 伊予大洲駅 徒歩約25分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

大洲城天守(再建)と高欄櫓(現存)
 

二の丸から見上げる高石垣上の
天守と高欄櫓 

天守から望む大洲市街と
肱川堤防上の苧綿櫓

天守と台所櫓(現存)
 
構成 伊予国中部、大洲街道、宇和島街道、土佐街道の集まる要衝の地、肱川を見下ろす標高40mほどの地蔵ヶ岳に築かれた平山城。

城域の東から北へ肱川が流れ、天然の外堀とし、山頂部の本丸、西側壇下の井戸丸、さらに南側の段下に二の丸は総石垣造りで、これら主郭を内堀で囲んだ。

城下南の平地に三の丸を置き、その西側と南側には肱川から水を引き込んだ外堀を穿った。

本丸には4重4階の天守のほか、高欄櫓、台所櫓を建て渡櫓で連結した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭は城跡として整備されており、本丸には4重4階の層塔型天守が往時の設計に忠実に復元されている。
連結されている高欄櫓、台所櫓は遺構である。

三の丸は市街化されているが南隅櫓が残っており、また肱川の堤防には苧綿櫓も現存している。
略歴
1331年 伊予国守護となった宇都宮豊房が築城
(中略)
1568年 毛利氏の小早川隆景を援軍に得た河野通宣に攻められ降伏(鳥坂峠の戦)
河野氏家臣、大野直昌が城主に
河野通宣が隠居し、養子の河野通直が家督を相続
1572年 大野直昌の弟で、菅田城主の大野直之が長宗我部元親へ寝返り、大洲城を乗っ取る
1573年 湯築城主、河野通直とその援軍、吉川元春小早川隆景に攻められ、大野直之が降伏、兄の大野直昌預かりとなる
これにより、再び宇都宮豊綱が城主に
1574年 大野直之、兄の元を抜け出し長宗我部元親の元へ逃れる
1585年 大野直之、羽柴(豊臣)秀吉四国攻めで、小早川隆景らに攻められ敗北
戦後、伊予国35万石を拝領した小早川隆景の支配下となり、養嗣子の毛利秀包(小早川元総)が城主に
1587年 羽柴(豊臣)秀吉九州攻め
戦後、筑前国筑後国肥後国の一部、合計37万1千石に転封となった小早川氏に替わって、秀吉の家臣、戸田勝隆が城主に。(16万石)
1594年 戸田勝隆、文禄の役にて戦死
1595年 藤堂高虎伊予国板島(現在の宇和島)7万石を拝領。丸串城(宇和島城)主に
その後、居城を大洲城に移す
1604年 藤堂高虎今治城を築き居城としたため、養子の藤堂高吉が城代に
1609年 脇坂安治が城主に。(5万3万石)
1515年 脇坂安治が隠居し、子の脇坂安元が城主に
1617年 脇坂安元、信濃国飯田へ加増の上転封に
替わって、加藤貞泰が城主に。(6万石)
(後略)