西国随一、大内家200年の栄華
大内氏館おおうちしやかた
場所 山口県山口市大殿大路119
旧国郡名 周防国 吉敷郡
別名  
種別 平館
築城時期 1360年頃(正平15年頃)
築城背景 周防国の守護となった大内弘世が居館とすべく築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 大内弘世、大内義弘、大内義興大内義隆、大内義長
天守 なし
主な遺構 土塁
主な再建物 館門
交通 JR山口線 上山口駅 徒歩約11分
駐車場 築山そばの無料観光駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜館跡
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

再建門

館跡の龍福寺 

土塁

大内義興の騎馬像
構成 周防国の西端、山口の町に築かれた平館。

100間四方のほぼ正方形で、周囲に堀をめぐらせ土塁を掻き揚げた構造。
内部には豪華な館が建ち並び、三つの庭園があったほか、館の北側には築山が築かれ、花鳥風月が愛でられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 館は、大内家滅亡後、その菩提を弔うために毛利隆元が建立した龍福寺となっており、遺構は北から西に土塁跡が残る程度。

境内には大内家に関する資料館も建てられている。

築山は八坂神社となっている。
略歴
1360年頃 大内弘世が築邸
(中略)
1392年 大内義弘、明徳の乱後、長門国周防国に加え、大和国など合計6ヶ国の守護に
(中略)
1467年 応仁の乱
(中略)
1508年 大内義興、上洛し管領代として畿内で活躍
1528年 大内義興死没、子の大内義隆が当主に
1536年 大内義隆、北九州肥前国少弐資元を攻め滅ぼす
1541年 大内義隆安芸国毛利元就の篭る吉田郡山城を攻めていた出雲国尼子晴久を、家臣の陶晴賢を総大将に差し向け撃退。(吉田郡山城の戦)
1542年 大内義隆出雲国月山富田城尼子晴久を攻める(月山富田城の戦(第一次))が大敗。養嗣子の晴持も戦死
1551年 家臣、陶晴賢の謀反にあい、深川大寧寺に逃れるが自害。(大寧寺の変)
その後、陶晴賢が大内家の主権を掌握し、大内義長(大友宗麟の弟)を傀儡当主に据える
1554年 安芸国吉田郡山城主、毛利元就が敵対
陶晴賢、折敷畑の戦で毛利元就に敗北。元就に安芸国をほぼ掌握される。(折敷畑の戦はなかったとの異説あり)
1555年 陶晴賢厳島の戦毛利元就に討たれる
1557年 毛利元就の侵出を受け、大内義長が長門国へ逃亡。これにより廃館