小田原攻めに参陣した大田原家の居城
大田原城おおたわらじょう
場所 栃木県大田原市城山2
旧国郡名 下野国 那須郡
別名 龍体城、前室城
種別 平山城
築城時期 1545年(天文14年)
築城背景 大田原家中興の祖、大田原(大俵)資清が居城とすべく築城
名城 私の500名城
主な城主 大田原資清、大田原綱清、大田原晴清、大田原政清
天守 なし
主な遺構 土塁、堀切、空堀、三日月堀
主な再建物  
交通 JR東北本線 西那須野駅 徒歩約60分
駐車場 二の丸そばの駐車スペースなど
徒歩・登山 駐車スペース〜3分登る〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

蛇尾川方面から望む大田原城

主郭の北西を守る三日月堀

本丸と二の丸の間の堀切

本丸の土塁
構成 下野国北東部、蛇尾川の右岸の標高25mの丘を利用して築かれた平山城。

城域は東西210M、南北327Mに及ぶ広大なもので、土塁に囲まれた本丸を中心に、南に二の丸、その西に三の丸を配し、本丸の北に北曲輪、その西側には三日月堀を隔てて馬場のある西曲輪を配した。

その周囲には蛇尾川から水を引きこんだ堀を廻らせ、その周囲、北、西、南には侍屋敷を広げた。

城域の西から北に向かって奥州街道が通っていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は龍城公園として整備されている。
登城口は西側からが便がよく、二の丸そばの御詰米蔵跡に小さいが駐車スペースがある。

本丸の土塁や堀切、空堀、三日月堀などの遺構が残っている。
本丸と二の丸の堀切には、コンクリート製の橋が架けられている。
略歴
1545年 那須家家臣、大田原資清が築城。
1560年 大田原資清が死没。家督を継いだ、子の大田原綱清が城主に。
1590年 大田原綱清、発病により、子の大田原晴清に家督を譲る。
大田原晴清、豊臣秀吉小田原城攻めに参陣
(主家の那須資晴は参陣せず)
その功により、戦後は所領を安堵される。
1592年 文禄の役(朝鮮出兵)で、大田原晴清は名護屋に在陣
1600年 関ヶ原の戦の際、大田原晴清は東軍につき居城において上杉勢に備える
大田原晴清、5千石を加増され1万2千石となり、初代大田原藩主に、
1614年 大田原晴清、大坂冬の陣に参陣
1615年 大田原晴清、大坂夏の陣に参陣
(中略)
1868年 戊辰戦争の戦火により消失
1873年 廃城令により廃城