本多忠勝が家康から任された城
大多喜城おおたきじょう
場所 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜
旧国郡名 上総国 夷隅郡
別名 小田喜城、舞鶴城
種別 平山城
築城時期 1521年(大永2年)
築城背景 真理谷一族、上総武田家の武田信清が、上総国東部経営の拠点とするために築城。築城当時は小田喜城と呼ばれた。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 真理谷家、正木時茂、里見家、本多忠勝、本多忠朝、本多政朝、阿部家
天守 詳細不明(非現存)
主な遺構 堀、土塁、井戸、移築門(大多喜高校)
主な再建物 模擬天守
交通 いすみ鉄道 大多喜駅 徒歩約20分
駐車場 二之丸公園下の駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜天守
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

模擬天守

本丸から望む二の丸方面
構成 上総国中央やや東部の低山を利用して築かれた山城。

本丸は城域の南、夷隅川を見下ろす崖上に置かれ、水堀を隔てて二の丸、さらに空堀を隔てて三の丸を直線上に配した連郭式の縄張り。

本丸には三階櫓が、また二の丸には二の丸御殿が建てられていた。

谷底を流れる夷隅川が天然の堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸跡には三階櫓が再建(推定)されており、千葉県立中央博物館大多喜城分館となっている。

二の丸跡は大多喜高校となっており、深さ20mの大井戸や移築された薬師門が残っている。
略歴
1521年 上総武田家(真理谷家)の武田信清が築城
1534年 第一次国府台合戦で、小弓公方、足利義明に味方した真里谷信応が北条家に敗北
これにより空白地帯となった上総国里見義堯が進出し、久留里城を居城に
1544年 里見義堯の家臣、正木時茂に攻められ落城
正木家の居城に
1581年 里見家と敵対した、城主、正木憲時が殺害され、里見家から代官が派遣される
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後、里見家は安房国9万石に減封
戦後、徳川家康が関東に移封となり、家臣の本多忠勝が城主に。(10万石)
1601年 本多忠勝伊勢国桑名10万石を加増され、伊勢国へ移る
子の本多忠朝が城主に。(5万石)
1615年 城主、本多忠朝が大坂夏の陣で戦死
甥の本多政朝が城主に
(後略)