桶狭間の戦の直前、家康が兵糧入れに成功した
大高城おおたかじょう
場所 愛知県名古屋市緑区城山
旧国郡名 尾張国 知多郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1510年頃(永正7年頃)
築城背景 尾張国の土豪、花井備中守の居城として築城されたと推定される。
名城 私の500名城
主な城主 花井備中守、水野忠氏、今川家、松平元康(徳川家康)、志水忠宗
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、土橋
主な再建物  
交通 JR東海道線 大高駅 徒歩約10分
駐車場 近くになし
徒歩・登山 大高駅〜徒歩7分〜登城口〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

大高城

大高城の本丸と土塁

本丸から望む大高の街
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構成 伊勢湾に注ぎ込む黒末川の河口そばにある、標高20mの小さな丘を利用した平山城。
(当時は大高の町のすぐそばまで伊勢湾が入り込んでいた)

2重の堀を廻らせた主郭部は東西106m、南北32mの細長い形で、本丸と二の丸からなり、間に空堀を掘って土橋で接続していた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 大高城址公園となっており、土塁のわずかに残る本丸、二の丸、空堀、土橋などが残されている。
略歴
1510年頃 尾張国知多郡の土豪、花井備中守が築城。(推定)
1532年頃 今川家が攻略し、家臣の水野忠氏が城主に
その後、水野忠氏が織田信秀に寝返り、織田家の支配下に
1551年 織田信秀、死没。織田家は嫡子の織田信長が相続
1552年 元織田家家臣で今川義元に寝返って鳴海城主となっていた山口教継が、織田信長に攻められるが守りきる。(赤塚の戦)
その後、山口教継が調略により大高城沓掛城を攻略
1559年? 今川義元家臣、鵜殿長照が大高城代に
1559年 今川義元が上洛戦を開始
今川義元家臣、松平元康(徳川家康)が、織田信長に攻められていた大高城への兵糧入れに成功
この功により、松平元康(徳川家康)が城主に
1560年 今川義元桶狭間の戦織田信長に討たれる
その後、松平元康(徳川家康)岡崎城へ戻ったため一旦廃城
(中略)
1616年 尾張徳川藩の志水忠宗が大高を拝領し、城主に。(1万石)
(後略)