水戸に移るまでの佐竹家の拠点
太田城おおたじょう
場所 茨城県常陸太田市中城町151
旧国郡名 常陸国 久慈郡
別名 舞鶴城
種別 平山城
築城時期 1109年(天仁2年)
築城背景 鎮守府将軍、藤原秀郷の玄孫(やしゃご)で、太田郷の地頭となった太田通延が築城
名城  
主な城主 太田家、佐竹家
天守  
主な遺構 なし
主な再建物
交通 JR水郡線 常陸太田駅 徒歩約25分
駐車場 なし
徒歩・登山 太田小学校付近が本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
× × × 歩1分

城址碑の残る太田小学校(本丸跡)
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構成 常陸国北部の久慈郡太田の、里川の支流、源氏川を西に見下ろす、南北に細長い台地に築かれた平山城。

東西二つの曲輪で構成された本丸(西本曲輪・東本曲輪)を中心に、南に二郭、北に三郭、北郭を配した。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 城跡は市街化されており、遺構は消滅している。

西本曲輪跡の太田小学校の校庭に、城址碑(舞鶴城跡)が残されている。
略歴
1109年 太田郷の地頭、太田通延が築城
(中略)
1150年頃 馬坂城主、佐竹隆義の圧力を受けた城主、小野崎通成が城を明け渡して小野崎城を築いて移り佐竹家の臣下となり、太田城は佐竹家の居城に
(中略)
1562年 佐竹義重が家督を相続し、太田城主に
1571年 佐竹義重、北条家と対立
1578年 佐竹義重、伊達家と対立
1583年 佐竹義重羽柴(豊臣)秀吉に誼を通じる
1585年 佐竹義重人取橋の戦伊達正宗に敗北
1589年 佐竹義重が隠居、子の佐竹義宣が家督を相続し、城主に
佐竹義宣豊臣秀吉小田原攻めに参陣
1590年 佐竹義重、江戸家の水戸城を攻めて奪う
1594年 佐竹義宣、居城を水戸城に移す。これにより廃城