秀吉が作ったなにわの巨城
大坂城おおさかじょう
場所 大阪府大阪市中央区大阪城1
旧国郡名 摂津国 東生郡
別名 旧石山本願寺、金城、錦城
種別 平山城
築城時期 1583年(天正11年)
築城背景 羽柴(豊臣)秀吉が、天下人としての権威を強調するため、かつての本願寺の拠点石山に壮大な規模で築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 羽柴秀吉豊臣秀頼、松平忠明
天守 5重6階天守(再建)
主な遺構 多聞櫓、千貫櫓、石垣、堀
主な再建物 5重6階天守
交通 JR大阪環状線 大阪城公園駅 徒歩約15分
駐車場 森之宮駅そばの有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩12分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩12分

5重6階の再建天守

千貫櫓(1620年建築)、多聞櫓、大手門

南外堀と二の丸の六番櫓(1628年建築)

淀殿や秀頼が自害した山里丸跡

石山本願寺跡(推定)
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構成 淀川の河口、上町台地の北端に築かれた巨大な平城。

●豊臣期
現在の場所よりも東寄りに建てられた5重6階の大天守のそびえる本丸は、三段の石垣の上にあり、天守の南に奥御殿を、さらにその南の詰めの段と呼ばれる曲輪に表御殿を構えた。

本丸の北、高石垣の下に広がる曲輪は、秀吉好みの風雅を愛でるための茶室や樹木を配した山里曲輪である。

それら主郭部の周囲には内堀をめぐらした。

二の丸は本丸の南に桜門を隔てて設けられ、西側に大手門が建てられ、城の正面口となった。

二の丸の西にある曲輪は西の丸と称され、秀吉没後、ここに入った徳川家康により小天守が築かれたため、大坂冬の陣までの期間2つの天守が存在したことになる。

本丸の東も広い曲輪であり、家臣の屋敷が建ち並んでいた。

二の丸や西の丸の外側には幅100mに及ぶ広大な外堀が掘られた。

外堀の外側にも家臣の屋敷などの建つ曲輪が広がり、さらにその外側の市街地を長大な堀で囲む、惣構えであった。
北側の惣構の堀は旧淀川であった。

大坂の陣で真田幸村が築いた真田丸は、一番手薄と言われた南の惣構堀のさらに南側であった。

●徳川期
1620年から幕府の命によって再建された大坂城は、大坂の陣の際破却した石垣や堀の上に盛り土を行い、その上に改めて高石垣が積まれ生まれ替わった。

新しい本丸には5重5階の天守が再建された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城域全体は大阪城公園となっており、本丸にそびえる5重の天守は1931年に再建されたもので、城内では秀吉関連の展示を行っている。

二の丸は豊国神社などになっており、7塔建てられた隅櫓の内、1番櫓と6番櫓が残っている。また、石山本願寺があったと推定される場所も保存されている。

西の丸跡には庭園が広がり、1620年建築の最古の遺構である乾櫓や硝煙櫓がある。

大手口の千貫櫓は1620年建築の遺構で、多聞櫓や大手門は火事により消失してしまったため1848年に再建されたもの。

西の惣構堀は東横堀川(阪神高速1号環状線)、南の惣構堀は空堀通り、東の惣構堀は埋め立てられてしまったが、JR環状線の東側あたりを流れていた猫間川となっている。
真田丸は真田山公園などとなっている。
往時は「大坂」だったが、現在では「大阪城」が正規の綴り。
略歴
1583年 羽柴(豊臣)秀吉が、かつて本願寺の拠点であった石山に築城を開始
1585年 本丸(5重)完成
豊臣秀吉の居城に
1588年 二の丸完成
1594年 総堀完成
1598年 豊臣秀吉死没。子の豊臣秀頼が城主に
1599年 豊臣秀頼淀殿母子、大坂城本丸に移る。(豊臣秀吉の遺命)
三の丸完成。外郭13kmに及ぶ巨城に
徳川家康が西の丸に入城。小天守を築く
1600年 関ヶ原の戦で、西軍の根拠に
1614年 大坂冬の陣真田幸村が総構の南側に出丸(大坂城真田丸)を造る
この後講和が整い、徳川家康により外堀、三の丸、二の丸まで埋め立てられ、本丸だけの裸城に
1615年 大坂夏の陣で天守が消失
豊臣秀頼自害
戦後、松平忠明が城主に(2代大坂藩主・10万石)
その後、幕府の直轄地に
1629年 再建
(中略)
1868年 鳥羽・伏見の戦で消失
(中略)
1931年 大阪市民の熱意により再建。(近代の天守再建第一号)