赤城山を北に望む大胡家の平山城
大胡城おおごじょう
場所 群馬県前橋市河原浜町660付近
旧国郡名 上野国 那波郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1532年頃(天文元年頃)
築城背景 秀郷流藤原氏の大胡家が築城
名城 私の500名城
主な城主 大胡家、横瀬家(由良家)、牧野家
天守  
主な遺構 石垣、移築門(正円寺)、土塁、空堀、堀
主な再建物  
交通 JR両毛線 大胡駅 徒歩約10分
駐車場 二の丸の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

空堀

本丸の虎口

二の丸門の石垣
(草に埋もれている・・・)

本丸からの風景
 
構成 上野国の東部、赤城山の南約3里ほどにある丘陵に築かれた平山城。

城域は東西310m、南北670mにおよび、断崖上の本丸の周囲には土塁を掻き揚げ深い空堀を穿ち、壇下には本丸を囲むように二の丸を配した。

それら主郭の北には水堀を挟んで北城(越中屋敷)や江戸曲輪を、南には三ノ曲輪と四ノ曲輪(南郭)を配した。

城域の東下には荒砥川が流れていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭は城跡として整備されており、二の丸には車を停めるスペースがある。
広大な本丸には土塁が残り、周囲の深い空堀や虎口、土橋などもしっかり残されている。

ただ、 二の丸門の石垣は夏草に埋もれてしまっていた。

北城は幼稚園に、三の丸は事業所に、南ノ郭は役場となっている。
略歴
1532年頃 大胡家が築城
1541年 金山城の横瀬家(由良家)の進攻を受け、城主、大胡勝行は北条家を頼り、牛込城へ移る
その後、由良成繁の家臣、増田繁政が城代に
1546年 河越夜戦で、関東管領の上杉憲政北条氏康に敗北し平井城に退く
1560年 長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵出してきたことから横瀬(由良)成繁は長尾家に寝返る
1563年 北条・武田の連合軍に攻められる
1566年 由良成繁、長尾家から離反、北条家に寝返る
その後長尾景虎(上杉謙信)に攻め取られ、北条高広が城代に
1567年 城代、北条高広、北条家に寝返る
1568年 相越同盟が結ばれたため、城代、北条高広は再び上杉景虎(謙信)に従う
(中略)
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めで北条家が滅亡
戦後、徳川家康が関東に移封されると、重臣の牧野康成が城主に(2万石)
1600年 関ヶ原の戦の直前、城主、牧野康成は中山道を進む徳川秀忠に従うが、上田城攻めでの責任を取らされ、戦後は蟄居処分に
1604年 牧野康成、許されて大胡城に復帰するが、嫡男、牧野忠成が事実上の城主に
1609年 牧野康成が死没、牧野忠成が家督を相続
1616年 牧野忠成、越後国長岡に転封(6万石)
(後略)