四国に覇を唱えた長宗我部元親の主城
岡豊城おこうじょう
場所 高知県南国市岡豊町八幡1099付近
旧国郡名 土佐国 長岡郡
別名  
種別 山城
築城時期 13〜14世紀
築城背景 当地の領主、長宗我部家が築城
名城 続日本100名城  私の500名城
主な城主 長宗我部国親 長宗我部元親
天守 なし
主な遺構 土塁、石垣、空堀、竪堀、堀切
主な再建物 模擬天守、模擬櫓
交通 市電 高知城前駅 徒歩約5分
駐車場 東側の公園駐車場(有料)など
徒歩・登山 駐車場〜登る7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

南東の国分川そばから臨む岡豊城

二ノ段と詰下段の堀切

詰ノ段に建つ模擬天守

詰ノ段下の空堀と土塁

三ノ段の建物礎石と石垣
 
厩跡(出城)の模擬櫓
構成 土佐国中央、香長平野の北西端にある標高97mの岡豊山に築かれた山城。
南麓を国分川が流れる。

最高所に本丸に当たる詰ノ段を置いて、段下に空堀とその外側に土塁を巡らせ、堀切で隔てた東側に二ノ段を、詰ノ段の南に三ノ段を、西に四ノ段を置いて主郭とした。

主郭から200mほど西にあるもうひとつのピークに、西方監視を兼ねた厩を置き、出城として機能させた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 岡豊山歴史公園となっており、中麓の歴史民俗資料館から少々の登ると主郭に着く。

土塁、石垣、空堀、竪堀、堀切などの遺構のほか、詰ノ段には模擬天守が、出城である厩跡には模擬櫓が建てられている。

特に主郭部の空堀や堀切などの遺構が綺麗に整備されており、楽しめる。
略歴
13〜14世紀 当地の領主、長宗我部家が築城
(中略)
1508年 敵対する本山家、山田家、吉良家から攻められ落城、城主、長宗我部兼序が退城
1511年 和睦が成立、長宗我部兼序が再入城
1518年頃 長宗我部兼序が隠居、子の長宗我部国親が城主に
その後、長宗我部国親は近隣を従え有力大名に成長
1560年 長宗我部国親が急死、子の長宗我部元親が城主に
1574年 長宗我部元親、中村の一条兼定を、豊後国へ追放
1575年 長宗我部元親、再起をはかり挙兵した一条兼定に勝利し土佐国一国を平定。(四万十川の戦
1582年 敵視され始めていた織田信長が、本能寺の変により死没
長宗我部元親中富川の戦十河存保に勝利し、阿波国を配下に
1583年 長宗我部元親讃岐国を平定
1585年 長宗我部元親伊予国も攻略し、この時点で四国全土をほぼ支配下に 
  羽柴(豊臣)秀吉の10万による四国攻めにより、長宗我部元親は降伏、土佐国一国だけを安堵される
1588年 長宗我部元親、大高坂山城に居城を移すが、治水が悪いことから再び岡豊城が居城に 
1591年 長宗我部元親、浦戸城を築いて居城に。これにより廃城