荒城の月の舞台、豊後竹田の名城
岡城おかじょう
場所 大分県竹田市竹田2912付近
旧国郡名 豊後国 大野郡
別名 臥牛城、豊後竹田城
種別 山城
築城時期 1185年(文治元年)
築城背景 緒方惟栄が、頼朝に追われた源義経を迎えるために築城
名城 日本100名城 私の500名城
主な城主 緒方惟栄、志賀貞朝、志賀親次、中川秀成、中川久盛、中川久貞
天守 当初:天守替りの三階櫓(詳細不明)(非現存)
再建:天守替りの層塔型3重4階櫓
主な遺構 天守台、石垣
主な再建物  
交通 JR豊肥本線 豊後竹田駅 徒歩約35分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登5分〜大手門〜歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

大手門下の城址碑

大手門

高石垣

三の丸

二の丸の瀧廉太郎像

高石垣
構成 豊後国南西部、祖母山北麓の竹田にある標高325mの天神山に築かれた総石垣の山城。

大野川とその支流、白滝川に挟まれた城域は、東西約2.5m、南北約0.4kmに及ぶ。

天守台を伴う本丸、段下の二の丸、三の丸を主郭として、東に向かう尾根に御厨曲輪を、西へ向かう尾根には城代屋敷、家老屋敷、桜馬場、籾蔵、西の丸などの多くの曲輪が並んでいた。

至る所高石垣となっており、城内一の高石垣は三の丸北側になる。

大手門は西の丸の東段下に開かれ、そのほかに北の近戸門、御厨曲輪そばの清水門、東の下原門の三門が設けられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡として整備されており、見事な高石垣や広大な城域に配された曲輪群を堪能できる。
特に主郭部や西の丸周辺が見ごたえ充分。

西麓の総役所跡に駐車場が完備されており、料金を支払ってからの登城になる。入城時間にも注意が必要。

二の丸には、竹田で幼少期を過ごし、のちに当城をイメージして荒城の月を作曲したといわれる、瀧廉太郎の像が置かれている。
略歴
1185年 緒方惟栄が、頼朝に追われた源義経を迎えるために築城
(中略)
1334年 大友一族の志賀貞朝が、岡城と名付け、拡張整備を開始(異説有り)
(中略)
1586年 島津家の豊後国への侵攻が始まると、大友家配下の多くがその軍門に降る中、城主、志賀親次は城に籠って抗戦、城を守り切る
1593年 文禄の役で、志賀親次が主君の大友義統に撤退を進めたことから、戦後、敵前逃亡を咎められた大友家が改易に。志賀親次も所領を没収される
1594年 中川秀成が城主に(7万4千石)
中川秀成、城を大改修、本丸に御三階櫓をあげる
  (後略)