大給松平家の祖、乗元が大改修した
大給城おぎゅうじょう
場所 愛知県豊田市大内町字城下(登城口:城坂40の東)
旧国郡名 三河国 賀茂郡
別名  
種別 山城
築城時期 ????年(????年)
築城背景 土豪、長坂新左衛門が築城
名城 私の500名城
主な城主 長坂新左衛門、松平親忠、松平乗元、松平乗正、松平親乗
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、石垣
主な再建物  
交通 名鉄三河線 豊田駅 約8.5km
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登10分

東の虎口

櫓台

本丸の石垣

巨石と城址碑

石垣造りの取水施設

城跡からの眺望
構成 奥三河の賀茂郡、九久平を西に見下ろす標高204m、比高約130mの山に築かれた山城。

城域は東西220m、南北280mの規模で、東西に続く尾根を堀切で断ち切り、山頂部の本丸、東に二の丸をはじめ多くの曲輪を配した。

主要部分には石垣が積まれ、また城内に点在する花崗岩の巨石も防御に利用された。

本丸の南の広い曲輪には、城主の居館があったと推定されている。

北側の谷には石垣造りの大規模な取水施設があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡公園として整備されており、約10分の登山で主郭に至る。

遺構はしっかりと残されているが、その分整備状態はあまり良くなく、石垣は苔や野草にまみれていた。

登城口そばに、大給松平家の祖、松平乗元の墓がある。
略歴
(前略)
1467年頃? 土豪、長坂新左衛門の居城だった大給城を、松平信光が攻め落とし、三男の松平信忠に与える
1500年頃? 松平信忠の子、松平乗元に城が与えられ、大給松平家の祖に
1510年頃 松平乗元、城を大改修
桶狭間の戦今川義元が討ち死に
1537年 松平乗元が死没、子の松平乗正が城主に
1541年 松平乗正が死没、子の松平乗正が城主に(推定)
1552年 東条松平家に城を攻められる
1555年 松平乗正、今川義元の命により織田家の蟹江城を攻める
1556年 松平乗正、滝脇松平家の滝脇城を攻め、松平乗清、乗遠親子を討つ
1575年 松平乗正、滝脇松平家の松平乗高に城を攻め落とされ尾張国へ逃亡
その後、廃城