北条家が作った日本屈指の大城郭
小田原城おだわらじょう
場所 神奈川県小田原市城内
旧国郡名 相模国 足柄下郡
別名 小峰城、小早川城
種別 平山城
築城時期 1417年頃(応永24年)
築城背景 扇谷上杉家に従っていた大森頼春が相模国足柄郡を拝領し、居城とすべく築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 大森頼春、大森藤頼北条早雲北条氏綱北条氏康北条氏政大久保忠世大久保忠隣
天守 3重4階天守(非現存)
主な遺構 石垣、土塁、堀
主な再建物 天守、櫓、城門、出丸
交通 JR東海道線 小田原駅 徒歩約10分
駐車場 周辺の有料駐車場
徒歩・登山 小田原駅〜徒歩8分〜お堀端通り交差点〜登る7分〜天守
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

小田原城 再建天守

天守から望む石垣山一夜城方面

再建された銅門(あかがねもん)

馬出丸の馬出門(再建)
構成 相模平野の南西端、相模湾に近い小高い丘に築かれた梯郭式の平山城。
西には箱根連山があって、まさに関東への入り口である。

城下町や田畑ごと取り込んだ惣構えで、日本でも最大級の城域を、全長9km(12qとも)に達する土塁と空堀で囲んでいた。
空堀は北条家得意の障子堀で、幅16m、深さは10m以上あったと言われる。

現在再建天守がある本丸は、後北条家時代の小田原古城の三の丸付近にあたり、江戸時代に大久保家の居城になってから縮小の上移された。

本丸の東側に二の丸、三の丸を配し、西側には屏風岩曲輪、南側には小峯曲輪、北側には御蔵米曲輪などが存在していた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城址公園として整備されている。
展示室を兼ねた天守は1960年に再建された。本丸入り口には、多門櫓と渡り櫓からなる常盤木門も1971年に再建されている。
本丸広場は動物公園になっており、さらに小さな遊園地もある。
二の丸の表門である銅門(あかがねもん)も再建されており、現在、枡形造りの馬出丸や門も再建中。
三の丸は市街となっている。

また、後北条家時代の小田原古城の本丸は、現在の小田原高校のあるあたり。
略歴
1417年頃 大森頼春の相模国入部に伴い築城
1495年 伊勢新九郎(北条早雲)が城主に
(城主だった大森藤頼を攻めて奪ったという説と、扇谷上杉家から譲り受けたという説がある)
1518年 北条氏綱が城主に
1541年 北条氏康が城主に
1559年 北条氏政が城主に
1560年頃 この頃までに、本丸、二の丸が完成
1561年 城主北条氏政が、長尾景虎(上杉謙信)に攻められるが落ちず。
小田原城攻め(上杉謙信)
1569年 武田信玄に攻められるが落ちず。(小田原城攻め(武田信玄)
1580年 北条氏政が隠居し、北条氏直が城主に
1587年 大工事により三の丸の外郭が完成。日本最大の城郭に。
また城の周囲に総延長9kmの外郭(土塁や空堀)をめぐらし、町全体を要塞とした
1590年 豊臣秀吉率いる22万人の大群に攻められ開城
北条氏政北条氏照兄弟は切腹
氏政の子北条氏直は高野山へ追放(小田原城攻め
徳川家康の家臣、大久保忠世が城主に
1594年 大久保忠隣が城主に
(中略)
1870年 廃城