筑波山の麓の小田家の平城
小田城おだじょう
場所 茨城県つくば市小田2614
旧国郡名 常陸国 筑波郡
別名  
種別 平城
築城時期 1192年(建久3年)
築城背景 鎌倉時代、宇都宮家の一族でのちに常陸国守護となった八田知家が築城し、居城とした。

南北朝時代は東国へ逃れた北畠親房が小田治久を頼って入城したことから、関東平野における南朝の拠点となった。
名城 私の500名城
主な城主 八田家(小田家)、梶原家、小場義成
天守 なし
主な遺構 土塁、堀跡
主な再建物  
交通 つくばエキスプレス つくば駅 徒歩約120分
駐車場 城跡そばの駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

小田城の本丸(左奥)と
堀跡(右側の草地)

堀跡越しに見る、南西馬出
 

廃線となった筑波鉄道筑波線の
線路跡のサイクリングロード
(城域を斜めに貫通している)

城域から望む筑波山

 
構成 常陸国西部、筑波山の南に広がる丘陵部の麓の平地を流れる桜川のそばに築かれた平城。

本丸を中心に三重の堀と土塁に囲まれた輪郭式の縄張り。

主郭部は、本丸、その南西に馬出(曲輪)を設け木橋で結び、本丸の東にも曲輪を設けて木橋で結んだ。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城域には以前筑波鉄道が貫通していたが現在では廃線となっており、現在、歴史的重要性の観点から発掘調査が進められている。

国の史跡ともなっており、曲輪や土塁、堀などが徐々に復元されつつあり、近い将来、小田城跡史跡として整備保存される予定。
略歴
1192年 下野国守護、宇都宮家の一族で、のちに常陸国守護となった八田知家が築城し、居城に
(中略)
1333年 鎌倉幕府、滅亡
1338年 北畠親房が入城し、関東、東北の反幕府勢力を糾合
1339年 北畠親房、神皇正統記を執筆
1341年 北朝方の高師冬に攻められ開城
(中略)
1548年 小田氏治、小田家を相続し城主に
1555年 城主、小田氏治、越山(関東進出)してきた長尾景虎(上杉謙信)に呼応し、北条家に味方する結城政勝を攻める
1556年 城主、小田氏治、山王堂の戦で結城政勝に大敗、小田城を奪われる
1557年 小田氏治、その後、小田城を奪回
1562年 城主、小田氏治北条氏康と和睦し、子の小田友治を人質として小田原に送る。
これにより長尾景虎(上杉謙信)と敵対関係に
1564年 越山してきた上杉政虎(謙信)に小田城を攻め落とされ、小田氏治土浦城に逃亡
1565年 小田氏治、小田城を取り戻す
1566年 再び上杉政虎(謙信)に小田城を攻め落とされ、小田氏治は再び土浦城に入る
1569年 小田氏治、手這坂の戦で、佐竹義重を後ろ盾としていた太田資正、梶原(太田)政景父子に敗北、小田城から追われ。三たび土浦城に入る。(手這坂の戦)
1583年 城主小田氏治佐竹義重に降伏し、藤沢城に移る
1584年 城代の梶原政景が北条家に内通したことから、佐竹義重に攻められる
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、小田氏治が小田城奪回を試みるが失敗、結城家を頼るが、その後滅亡
1600年 佐竹義宣の家臣、小場義成が城主に。(5万石)
関ヶ原の戦
佐竹義宣出羽国羽後へ減封の上転封となると、城主、小場義成も出羽国羽後へ移り、廃城