迷路のように広がる深い堀底道
小幡城おばたじょう
場所 東茨城郡茨城町小幡1953付近
旧国郡名 常陸国 茨城郡
別名 常陸小幡城
種別 平山城
築城時期 1417年(応永24年)(鎌倉時代の築城説も)
築城背景 大掾詮幹の三男、大掾義幹が築城(鎌倉時代に小田知重の三男、小田光重の築城説も)
名城 私の500名城
主な城主 大掾家、江戸家、佐竹家
天守  
主な遺構 土塁、空掘、井戸、土橋
主な再建物  
交通 JR常磐線 羽鳥駅 約14.5km
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

曲輪の間を続く堀底道
 

五の郭に続く変形武者走り
(空堀の向こう)

土橋

本丸の井戸跡
構成 常陸国中部、涸沼の西1.5里ほどにある低丘を利用して築かれた平山城。

城域は12ヘクタールほどの広大なもので、本丸をはじめとした大小八つほどの曲輪が、周囲の深い堀底道で隔てられ、ところどころを堀り残した土橋で曲輪間を連結させた。

北東部の搦め手口には堀底道が2本開いた二重堀構造となっており、侵入者はどちらを進むべきか思案したことであろう。また内部の堀底道も曲輪間を迷路のように複雑に走っていた。

本丸の西には、櫓台のある曲輪とそれに続く変形の武者走りがあった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本城は城跡として整備されており、北東部に駐車スペースがある。

堀底道は深く掘られており、最大で10mほどの深さがある。

土塁、空掘、井戸、土橋などが案内板付きで残されており、中世城郭の醍醐味を堪能できる。
略歴
1417年 大掾義幹が築城
(中略)
1532年 江戸忠通に攻められ落城、叔父の江戸通春が城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めに参陣しなかったことから佐竹家に攻められ、水戸城とともに落城
1602年 佐竹家の秋田転封を受けて廃城