佐竹一族の額田家の居城
額田城ぬかだじょう
場所 茨城県那珂市額田南郷258付近
旧国郡名 常陸国 那珂郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1250年頃(建長年間)
築城背景 佐竹義重のニ男、義直が築城し、額田氏を名乗った
名城 私の500名城
主な城主 額田義直、額田義廉、額田義亮、額田盛通、額田照通
天守  
主な遺構 土塁、空堀、土橋
主な再建物  
交通 JR水郡線 額田駅 徒歩約30分
駐車場 なし
徒歩・登山 阿弥陀寺〜歩2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

空堀

空堀

空堀 

空堀
構成 常陸国中央の那珂郡、額田に築かれた平山城。
城域の南側には有ヶ池が広がっており、その北側の壇上に本丸を置き水堀を巡らせ、その北に二の丸、さらにのその北に三の丸を配して主郭とした。

主郭の外側、西、北、東を取り囲むようにいくつかの曲輪が配された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部が城跡として整備されており、空堀や土塁が遺構として残されている。
特に本丸の周囲を巡る堀(今は空堀状態)の残存度はよく、見ごたえも充分。

南側の有ヶ池は水田などになっている。
略歴
1250年頃 額田義直が築城
(中略)
1407年 城主、額田義亮、佐竹本家の養子相続問題が原因で本家と対立(山入一揆)
1416年 上杉禅宗の乱では、本家の佐竹義憲が鎌倉公方の足利持氏を支持したものの、額田義亮は上杉禅宗を支持したため、再び本家と対立
1417年 上杉禅宗が公方勢に敗北(上杉禅宗の乱の終結)
1423年 佐竹本家勢に攻められ落城、額田義亮は討ち死に
(中略)
1588年 水戸城で江戸家の重臣による神生の乱が起こると、城主、額田照通は神生右衛門大夫を額田城に匿う
1589年 本家の佐竹家の支援を受けた江戸家に額田城を攻められ降伏
1591年 城主、額田照通、本家の佐竹義宣から謀反の疑いをかけられ、野上河原で戦うが敗北、伊達家の元へ落ち延び、額田城は落城
廃城